シャン州をさまよった女流作家 曾焔の伝奇小説 人参果 (5)

 
 この苦難に満ちた世界で、人が人として生きていくためのほんのわずかな一息をつかせてくれるもの。それは、我々人類が最後の一線で保って失わずにいる善良な心であろう。限られているといえども、また、可哀想なぐらい少ないといえども、それはきっと干ばつに襲われた苗を潤すことになる。

 玉清の労苦を軽減するため、ロンサイワイ村長の娘が、毎日肉と野菜を一緒に煮込んだ栄養あるおかゆをこの母親に送り届けた。

 私ともうひとり、五十過ぎになる同僚、|鄭淑屏《チェンシューピン》先生も、外に出て彼女たちのために生活救済募金を行った。

 私たちを感動させたことは、多くの養鶏やアヒル飼い、小商いを営む雲南人たちが熱心に、一人また一人と彼らのできる範囲でお金を寄付したことである。メーサイ光明善堂も話を聞いて二千バーツの寄付をしてくれた上に、この母親に関するいろいろなことを処理すると約束してくれた。

 私の予想どおり、この楊志鮮さんは、メーサイ一帯では相当名の知れ渡った人であった。ほぼすべての雲南人が彼を知っていたと言っても過言ではない。さらに、何人かの金持ちはかつて彼の部下や同僚であった。しかし、こうしたたっぷりと豊かに太って脂ぎった資産家たちは、一銭のお金も出さなかったばかりか、露骨なまでの軽蔑の眼差しと、まるで卑しいものでも見るかのような態度で応じたのであった。彼らは卑しみ、嘲弄するかのように楊志鮮夫妻について語るのであった。路上でジャガイモを売り云々、市場で腐ったキャベツを売り云々、西へ東へと駆け回って結局住むところもない云々、そして最後にタイ人が暮らす村の墓地の近くに小さな草屋を建てて、そこに暮らしている云々……。そう、彼らはすべて知っていたのである。知らなかったのは、家に籠もって外に出ず、現実社会と接触を断っていた間抜けな書生である私の方であったのだ。

 彼らの冷酷な話しぶりを聞いていると、私にはこうした資産家たちが楊志鮮がこの世に残した妻子に対してまとまったお金を出すものと思っていた。私の眼は、彼らの白くてぷっくりとした、また、太くて短く、赤々と透き通って栄養豊富な手に釘付けになっていた。心の中では、この太った手がすっとポケットに伸びて札束を取り出し、だがおそらく地面に放り投げるかして、彼らの上司であり、同僚であり、同じ故郷の出身である楊志鮮に、そして、同胞であるこの孤児たちと重病の寡婦に施しをくれるものと思っていた。私にとってこの人生で最も人に媚び、下手に出たあのひととき。強面の表情などどうやったら出てくるのだろうかという顔を作り、非常に話せる人といった面持ちのにこにこの笑顔、そう、泣き顔よりもさらに醜い笑顔。そのときの私は、すべての自尊心と孤高の驕傲をすっかり忘れるようにした。実のところ、私の夫であった楊林が公務で殉職したあと、私は貧しさや病に追われたことがあったが、しかし一度でも、いかなる人に対しても、弱さを見せたり助けを求めたりしたことはなかった。

 だが今、私は自分が涙いっぱいの眼で見つめていた楊志鮮の残された妻子が、彼らの目にも映ることを期待していた。そして、彼らが惻隠の情でもって、自分たちの子孫のためにでもいい、いまここで功徳を積むことを期待していた。

 だが、もう言うまい。人間性の冷酷さと醜悪さなど水の底に沈んでしまえばいいのだ。

 もっとも、私を無言にさせるほど憤らせたのは、こうした偽善者たちが、楊志鮮に可愛らしい三人の娘がいると聞いた途端に態度を変え、残された妻に同情し始め、ついには甘い言葉でこの三人の娘たちを養いたいと言い出したことである。

 「里親」…私は北タイで、嫌というほど眼にしてきた。身寄りのない女の子が里親に引き取られるのと、他人に売り飛ばされるのには、結果から見て何らの違いもないのであった。未成年の時は召使いとしてこき使う。やがて成長すると、容姿が醜くければそのまま奴隷のように働かせ、容姿が美しければその家の男主人の妾になるが、それにしたって苦しい生き方をせざるを得ない奴隷女には違いない。それに万一、本妻の逆鱗に触れれば、あっさりと売春宿に売り飛ばされてしまうのである。

 一説には徳があって名望家といわれるある郷長は、命令するような口調で私に言ったのだった。「君はその楊志鮮の末娘をここに置いてゆくのだ。私はその子を養女にしたい」

 「養女にする」とは、何とも高尚で、公明正大なお申し出であろうか。しかし、この郷長の、とても善人とは思えない尊大な態度。どうせ、養女にするといっても、娘の年齢が小さければ小さいほど、棒でひっぱたいて調教するには都合がよく、小さければ小さいほど長い間家のために働かせることができるからではないか。

 この、養女にする、という話は、私は本当にたくさん見てきたのである。

 その横で奴隷のような顔で傅く男は、さすがに私に対してこのような気炎を上げることはなかったが、厚顔無恥にも、「曾先生、郷長のお気持ちを汲んだ方がいいですよ、彼はあなたの面倒も見てくれますし……」

 他人の孤児を差し出して人の情けを乞うなど、狼の心臓と犬の肺を持った人間でなければできることではない。「私の面倒を見る」この言葉に感謝したい。この人間を食べても骨すら吐き出さないような吸血鬼のくせに!。自分に利益のないことなど、彼らが決してするはずがないのだ。


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