克保(柏楊) 異域 (2)

 
 その洞穴は誰がいつ塞いだものか我々は知らない。村人たちによれば、その昔、村の年寄りたちが話してくれたところによると、なんでも、洞穴のもう反対側の一端は、そのまま山の反対側に続いていて、もしこの洞穴を進んで向こう側に抜け出られれば、山をまわる道のりよりも二日ほど短縮できるという。もしそうであれば、我々を追いかける敵を、これで徹底的に振り切ることができ、こうなると、我々退却部隊には理想的な状況となる。

 そして、みなで作業を始めることになった。空が暗くなって間もなく、洞窟掘りの先頭部隊が驚きの叫び声をあげた。洞穴は本当に通じていたのである。洞穴を出ると、また別の峰々が広がっていた。我々は村人に謝し、順番に粛々と西へ向けて逃げ続けた。

 しかし、たとえ追撃を振り切ったとしても、我々のごとき、たかだか千人の敗残兵と弱った婦女子には、まだ安全な前進には程遠いのであった。道すがら、土地の共産匪賊による絶え間ない襲撃があった。彼らは地勢をよく理解しており、神出鬼没の恐怖を我々に味わわせた。

 我々の目的地は|江城《ジェンジァン》である。江城はラオス・ベトナム国境に近く、車里、佛海などを擁する広大な要地で、守り易く攻めにくい。基地を建設するにはちょうど良い場所であった。だが、共産党軍が急行軍の速度でもって、河口から、中越、中国ラオスの両国境地帯を経て、そしてさらに多くの山河を越えて、江城と車里に迂回猛進していた。さらに、すでに昆明を占領した共産党軍部隊は、休む間もなく継続的に南下を続け、まっすぐ|佛海《フォーハイ》に到達しようとしていた。私たちは、ちょうど蟹のハサミにとらえられて口に持っていかれるようなものであった。そのため、何とか江城にたどり着いた我々も、江城で止まることはできなかったのである。

 捷克、|早期《ザオチー》付近の、|炭山《タンシャン》と呼ばれる捷克よりもさらに小さい村において、我々は地元の共産匪賊による待ち伏せ攻撃を受けた。我々が村に足を踏み入れると、四十戸にも満たない民家の門が、みな閉じられていて、通りには物音一つない。李國輝将軍はすぐさま村を離脱するよう急命したが、すでに銃声が起こっていた。村の中や山の上から、銃声とともに投降を呼びかける叫び声が、こちらに聞こえてくる。幸い、我々は百戦錬磨の軍団である。さらにいえば、武器も彼らのものよりいい。二時間後、白旗を掲げた村人が現れて、李國輝将軍に一通の書簡を手渡した。

「親愛なる部隊長殿 第二十六軍はすでに全軍が投降しました。もし投降しないのであれば、あなたたちは人民の銃火に晒され、その先にはただ、死あるのみです」

下に署名があり、「人民解放軍聯合作戦部」と結ばれていた。

 思うに、こんな形で投降の呼びかけに応じても、結果がどうなるかは誰の目にも明らかだった。だが、李國輝将軍はこの敵の使者を殺すことはなく、はたまた、安物の小説によくあるように、怒鳴り散らして一蹴するというようなこともしなかった。ただ、この使者を少し待たせたのである。そのあとしばらくしてから副官を引き合わせた。

 この使者に対して、我々が敵の|朱家壁《チュージアビー》縦隊の投降の呼びかけに応じ、朱家壁がおそらく、今晩我々を迎えにきたうえで、ともに江城へ向かうことになるが、もし、今晩彼が来られないのであれば、我々は彼らとともに作戦中の別の部隊に対して投降するつもりである、と伝えさせることにした。

 さらに我々の誠意を見せるために、副官は、使者が手渡してきた朱家壁直筆の書簡を村人に見せた。使者とはいえ、一人の庶民に過ぎない村人には何も分かりはしない。ただ、自分が殺されなかったことにはなはだ感激して、彼はもうなにがなんだか分からなかったのである。

 その使者が村の防衛線を出たあと、李國輝将軍は、ともに従軍している家族たちと文官に、今すぐ紅星の帽章を製作するよう命じた。女たちや子供たちの赤い衣服、赤い靴下、赤い靴、果ては、仲間たちの血で汚れた包帯までも、ありとあらゆる赤い布がすべて彼女たちに渡された。それを星型に切り抜いて全員に配り、それを帽子の前に縫い付けさせた。

 李國輝将軍は、中級以上の士官を集めて宣言した。

「我々は只今から偽装して、人民解放軍になりすます」

さらに、

「今晩、我々全軍は敵の包囲を突破する。命令内容を問われたら、外地出身の兵が『我々は朱司令の独立第三支隊である』と答えること。朱家壁はこの一帯を押さえているはずだ。我々は、素早く江城に到達できると思われる。もしそうでなければ、我々は彼らの手によって消滅させられるものと心せよ」

と訓示した。

 この日一日、夜にはさすがに霧も晴れてしまっていたのだが、月は出ていなかった。我々は山野を行軍し、懐中電灯の光は蛇のように叢の中をうねる。また、山の上から明かりを照らし、仲間の帽子を照らした。みな息を殺していた。たまに誰何される声が聞こえると、外省人訛りの味方が罵り返すのである。

「|媽拉八子《マーラーバーズ》、(訳注、母ちゃんが八人の子供を連れている)」

往々にしてこんな具合だった。

「同志、お前さん、面倒は嫌いだろ…。何を言いやがるんだい…。俺たちは急いで江城の陳司令に合流しなきゃならねえんだ…。おお、よしよし、ありがとよ、ありがとよ…」

 我々がこうして敵を振り切るのは今回で二回目だ。だが、元江鉄橋での一件が我々を絶望させたように、江城もまた第二の元江鉄橋になるかもしれない。我々は歯を食いしばって駆けに駈けた。母親たちは子供たちの口を手で押さえ、江城からあとわずか数里の道に出るときは、我々は本物の朱家壁縦隊に出会ったり、さらには我々がなりすましている独立第三支隊の本物に出くわしたりするやもしれないと思うと、まったく気を緩めることができなかったのである。

 だがこの江城の地はすでに陥落しており、こうして、江城を根拠地にするという我々の計画はまたしても泡となって消えてしまった。孤軍となった我々はただ、戦いつつ西へ向かって撤退を続けるしかなかった。

 我々としては、車里、佛海、南僑の戦線を拠点として、基地を建設したかった。この四時間のあいだ我々は後退する道もない悲しき兵の集まりであった。加えて、我々は絶えず行く手を阻まれ、そのたびに激しい怒りを覚えた我々は、敵が押さえている周囲の山を激しく攻め立てた。ついに血路を斬り開き、朱家壁縦隊の共産党軍を押し出した。

 我々はこの一連の戦闘で、一人の仲間を死なせ、また一人の仲間が負傷しただけだった。だが、我々が山を前進してみると、共産党軍が遺棄した死体は二百を越えていた。我々は運良く敵軍を撃破し得たが、その後得た情報によれば、もしそうでなければ、あと一時間程度の戦闘で、江城から追撃してくる敵軍が戦闘にさらに加わって挟撃をうけ、死に場所すらなくなるところであった。





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