シャン州をさまよった女流作家 曾焔の伝奇小説 癩蛤蟆精(イボガエルの精)(1)

 
 去年の七月、とある朝の出来事だった。私は起き出すと井戸縁に行って水を汲み、顔を洗ってうがいをしていた。ふと見ると、背中に苔が生えていて、深緑色をした、お椀ぐらいの大きさの一匹の蛙が眼に入った。この蛙は惚けたように井戸の傍らにたたずんでいて、それでも、飛び出た目玉を周囲を気にするように動かしていた。

 そういえば、私たちの衣服を洗ってくれる高おばさんの家に洗濯物を取りに行ったときに、彼女が二匹の蛙の皮を引き剥いているところを見たことがある。彼女はたしか、それを煮て食べると言っていたはずだ。
 そこで私はなんとかこの蛙を捕まえて、スープを作る高おばさんに差し上げようと思ったのであった。辺りを見回して手頃なお盆のようなものを探し、その蛙を逃がさないようにひっくり返して上からそっとかぶせるように置いた。そしてさらに念を入れ、その蛙が逃げないように、石を一個拾ってきてその上に載せておいた。

 朝食を済ませたころ、高おばさんが洗い上がった衣服を持ってやってきた。彼女は痩せ細ってしわくちゃで、そして物静かなお婆さんである。彼女の旦那さんが高という姓の中国人なので、私たちは彼女のことを「高おばさん」と呼んでいる。高おばさんは流暢な中国語を操る。彼女の顔は真っ黒で、白目の部分が多くてくりくりと動く眼、とがった鉤鼻と薄く伸びた唇、下あごは外側に向かって突き出るように曲がっていて、頭には大きな頭巾を巻いている。彼女は清潔好きでこまめでしっかりしている。そして一日中ビンロウの実を噛み続けている。彼女の雰囲気は平和的であり、顔には笑顔を絶やさないし、ときには、とても風流な冗談を飛ばす。彼女には子がなく、そのためか、私の娘、綺綺を彼女の家へ使いに行かせることを喜んでいたが、娘の方は、彼女を見るとなぜか寝室に逃げこんで、そのまま隠れてしまうのであった。

 高おばさんが衣服を置いたので、私は彼女の手を引いて井戸縁に連れて行き、ビニール袋を彼女に手渡した。そして、今朝方、蛙の上にかぶせたお盆を指して「ねえ、これを見て。今朝一匹の大きな蛙を捕まえたのよ。あとで持って帰ってね」と言った。

 高おばさんはとても嬉しそうに笑った。屈みながらそのお盆の縁をそっと持ち上げて隙間を作り、手を伸ばして突っ込むと、その大きな蛙を掬うように捕まえた。だが彼女はその蛙を見るなり、ビンロウの実を噛み続けているうちにすっかり紅くなった唾液を地面に向かってペッと吐き出すと、か細く笑いながら私にこう言ったのであった。「先生、これは蛙じゃなくて、イボガエルです。食べられませんよ」
 「えっ、これが蛙じゃないの?前に、高おばさんが『食べるのよ』と言いながら締めていたあの蛙、この蛙とそっくりじゃない」私はにわかには信じられなかったので、思わず強く言ってしまった。だが、心の中ではちょっと自信がなかった。実際のところ、大きな青蛙とイボガエルにどんな違いがあるのか私にはまるでわからなかったからである。

 高おばさんは、笑いを堪えきれないという感じだった。しかし、こんなことを言い出した。「確かにこれは食べられませんがね。でも、他に上手い使い道がありますよ」彼女はじっくりとイボガエルのぶつぶつの背中の皮を注視していたが、味わうような落ち着いた声で、「こいつはずいぶんと歳をとっているね。もしかしたらすでにイボガエルの精になっているかもしれない。あとで、私がこのイボガエルから精水を絞り出してあげます。それをあなたの目に塗ると、あなたは未来に起きる出来事を見るという珍しい経験ができるんですよ」
 「本当なの?」私は大いに興味を掻き立てられた。
 「嘘なもんですか。このイボガエルは少なく見ても何十年と生きていますよ。深山に溢れる瘴気や毒気をたっぷり吸っているから、身体には苔が生したような皮があるんです。普段は崖や絶壁とか、暗く湿った洞穴とか、奇岩奇石の間を縫ってやっと探し出せるんです。こんな人里にまでおりてくるなんて、まったく珍しいことなんですよ」高おばさんはこのイボガエルをしっかりと手で押さえながら、厳粛に、しかも、道理を諭すように切々と言うのであった。
 「それは珍しいわ」私は「こんなに大きなイボガエルを見たことがない」と言った。
 「先生、どうですか、一度試してみませんか。霊験というものを一度ご覧に入れますよ」高おばさんは真面目に聞いてきた。
 「試すって、何を?」
 「ですから、その、珍しい経験ですよ」
 「本当なの?」私はまったくその気がないような感じで笑ってしまった。
 「もし先生が試してみれば、私の言っていることが嘘じゃないってわかりますよ」高おばさんは自分の言い分が軽く見られたと思ったのか、顔には不愉快な表情が顕れていた。だが、ずいぶんと真剣な面持ちで続けた。「ですが、もし先生がその珍しい経験をしたとしても、絶対にそれを口に出してはいけませんよ。もっとも、私は見ないことを勧めますけどね。だって、そもそもこんなイボガエルが山から出てきて、わざわざあなたの家に来るなんて、もしかしたら何か不吉なことがあるのかもしれませんから」

 こう彼女に言われると、やはりよけいに見たくなってきてしまうのだ。私は何があっても絶対見てみると彼女に言った。

 高おばさんの顔からは、いつのまにか笑顔が消えていた。彼女は見下ろすような神々しさで私をしっかりと見つめている。それは私を今までになく興奮させるような感覚であった。そして、彼女は井戸縁まで戻ると、首を伸ばして井戸の中を覗き込むことしばし、なぜかため息をついて頭を振ると、そのイボガエルをビニール袋に入れて、汚れた衣服といっしょに持って帰ったのであった。

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