【金三角 邊区 荒城】 三十八 文化の砂漠

三十八、文化の砂漠
「教育図書の不足によって、孤軍末裔たちの思想、意識は、驚くべき速度で祖国から離れていこうとしており、やがて、タイという宇宙の中に消失してしまうだろう」


タイの教育行政の管轄下に入った孤軍子弟の学校は、なにもメサロン(メーサロン)の興華中学だけではなく、私が知る範囲では、バーンヒンテークにある、クンサー一党が支える大同中学のほかは、みなタイ政府の管轄下に入っている。そうした学校は一様に、タイの国旗を掲げ、また、主としてタイ語を使用している。中国語はまったく重要ではない地位に落ちている。

バーンヒンテークの大同中学は、「シャン州革命軍」がビルマの山区へ引き上げたため、予算の提供が継続できなくなっていて、校長の|孫斌《スンビン》さんは、どうしてよいかわからず(混乱するしかなかったのだ)、とりあえず二週間の休校として、タイ政府に引き継ぎを要求したところ、タイ政府は即座に二人のタイ人教師を派遣してきた。クンサーの副官はこの挙に対して猛烈に反対していたが、では、具体的にどのように支援を継続するのかというと、そうした説明をすることはなかった。

興華中学も変わった。ここは北タイにある孤軍子弟の学校としては、中心的な学校であろう。そして、その影響は今までずっと続いている。タイ政府は興華中学の校名を「|安寧《アンニン》中学」と改めて、広場にはタイ国旗を掲揚している(※訳注、「興華」は中華を起こすを意味し、「安寧」には勇ましい語感がなく、静かに過ごすというニュアンスがある)。

雷雨田将軍の思想は開放的である。彼は見識をもって遠くを見通した上で定めた二つの措置は、保守派の人々から論難されていたとはいえ、しばらくすると、ほぼ全体が一致して彼の考えを擁護するようになった。タイの領内にありながら、タイ語ができなければ、この地に家を持って深く根を下ろすことなどできようはずもない。それはまさしく「縁木求魚(間違った方法による徒労の喩え)」であろう。難民村を出たら慌てふためいて、ろくに言葉も喋れないとしたら、いかにしてタイ人たちと商いをすればいいのだろうか。また、村を飛び出してタイ人たちと競争しながらいかに発展していくのか。雷雨田将軍は中国人が中国人の巣の中で入り混じって争うような現象は、煩わしすぎると思っていた。孤軍の一世代前は、死ぬ者は死に、老いる者は老いた。若者たちには彼らの世界があるだろう。祖国に帰る、雲南に帰るというのは、先行きがまるで見えない一つの願望に過ぎず、そんなものにしがみついて生存を図ることなどは、考えてもありえないのであった。彼らが向き合わなければならないのはむしろ、現実のタイ社会である。若者たちはタイの社会で生き抜く能力を養わなければならないのである。

「ルーツを忘れたのではなく」雷雨田将軍はいう。「子供たちがいかにして生き残るか、それだけを考えているのだ」

これは一つの厳粛な問題といわざるを得ない。孤軍の末裔たちは変化を求め始めているのである。彼らは、変わらないことで大きな変化に対応しようとしているのではない。むしろ、自分たちも柔軟に変化して、無数の変化に対応しようとしているのである。タイ国王に忠誠を誓ったり、タイ人との同化教育を受け入れるのも、ことの始まりに過ぎないのであった。だが、これは彼らの流言から耳にしたことだが、そうした状況はすでにこの眼で見ることができる。多くの人々が間違いないと言って私に話したところによると、彼らは確実な証拠をすでに手にしているという。一九八○年、タイ移民局がかつて難民村にやってきて、一人一人のために写真を撮るなどしていた。これはつまり、タイ政府はすでに孤軍各人のタイの公民証はすでに発行しているが、その公民証はずっと、第三軍第五軍の軍部の手の中にあるというのである。彼らはそれが喉から手が出そうなほど欲しいのだ。それさえあれば、このタイ北部の僻地を離れ、首都バンコクに行って生活をやり直すこともできるのだ。

私は孤軍の幹部たちが彼らの公民証を差し押さえているとは思えない。それは道義に反し、さらに違法な行為であろう。それに、タイ政府はタイ国のために戦って負傷したり死亡した者の家族には、公民証を発行すると公式に声明を出している。これは裏返して言えば、全員に発給することはありえないことになる。だが、この噂は一つの真実を物語っているようである。まず、孤軍末裔たちは自ら羽ばたくことを渇望しているということ。もう一つは雷雨田将軍の措置は、まさしく彼らが羽ばたくための羽を動かす訓練に違いないということだ。

しかし、彼らが羽ばたくのを邪魔しているのはむしろ、知識の欠乏ではないだろうか。あらゆる孤軍子弟の学校には、一様に図書館というものがない。ただ、教室の中で授業の時だけ配られるぼろぼろの教科書があるだけなのであった。中華民族は学校に行くのが好きな民族であるが、勉強が嫌いな民族でもある。これは五千年の伝統文化であった、自称文化大国の中国人、台湾人にしても、家庭にはベッドと食卓があるほか(まさしく食色性なりだ)は、百分の九十五以上は、ほぼまともな蔵書というものがない。書斎はいうに及ばず、書棚にしても同じことで、もしそんなものがあれば、死んだと思われていた妖怪がそこに現れたようなものである。僻地には学校が林立しているとは言えるのだが、この中国人社会全体には、文化の息遣いというものが感じられないのである。去年(一九八一年)、女流作家|張暁風《チャンシァオフォン》さんは、宗教関係者という身分でメサロン(メーサロン)を訪れて、かつてこの状況に震えるほど驚き、帰国してからひとまとまりの書籍を掻き集めた。私がメサロン(メーサロン)に来ているとき、これらの書籍はメサロンに運び込まれてきており、中泰難民支援服務団の数名の団員によって、興華中学の空っぽの教室にある書棚に慌しく並べられていた。こうして、おそらくは孤軍子弟の学校としては、いや、タイにある難民集落では初めての図書館が開館した。細かくは見ていないが、おそらくその蔵書は七八百を越えないといったところだろうか。

ある一人の年若い教師が話してくれたことを思い出す。「私たちは本を必要としているのですが、買うお金がないのです。買うお金があったとしても、買う場所がないし、さらに、私たちが必要とする本がないのです」タイにある中国語書店は、それが、バンコクにあろうが、またはチェンマイ、チェンライにあろうが、すべての書籍は、黄色かほぼ黄色くなった、香港から輸入された三流四流の、いわゆるゴシップものだけの清一色である。台湾の一冊の文学作品もここには見当たらない。よしんば一冊あったとしても、それはおそらく台湾から送られてきた見本版であり、その一冊が売れてしまえば跡形もなくなってしまうのであった。|張暁風《チャンシァオフォン》さんは、約束を実行に移した数少ない台湾人訪問客の一人であって、彼女が願った書籍の寄付は確実に実を結んでいた。現在はメサロンにある興華中学にできた、図書館とも呼べないようなたった一つの粗末な図書館。タイには三十数カ所の孤軍子弟のための学校があるが、それらはまだ一面の砂漠のようである。一冊の本を寄付する愛にあふれた心は、異域に身を置かざるを得ない同胞にとっては甘美な雨水のようにありがたい。しかし、国内に身を置く我々のうち、一体誰があの苦労に満ちた山奥の子供たちに、心からの喜びを与えるのであろうか。

孤軍子弟の学校にとって、教員の欠乏は致命傷ともなっている。小学校教師の給与が毎月六百バーツ(一千台湾元)、中学校教師のそれは毎月千二百バーツ(二千台湾元)にすぎない。たとえ、タイの生活水準が台湾の半分程度だとしても、このような待遇では、教師たちが腹一杯になるまで口にできる食物といえば、じゃが芋ぐらいのものであろう。去年(一九八一年)、「救総」は三百五十万バーツの予算を組んで、校舎の建設と椅子や机を必要としている二十八カ所の学校に分配した。祖国からの一縷の関与は彼らをじゅうぶん感動させた。しかし、もし、校舎か教師のどちらかに振り向けるか選択する権利が彼らにあったなら、彼らはむしろ教師の方を選んでいたはずだ。優れた教師は大樹の影で授業を行っても、子供たちの資質を引き上げることができる。もし優れた教師がいなければ、校舎が黄金でできていようとも、心と知識は空っぽのままである。教育と図書の不足によって、孤軍の末裔たちは、思想の面でも、知識の面でも、驚くべき速度でもって祖国から離れていってしまっている。遠くない将来、永遠にタイという宇宙のなかに消滅してしまうだろう。




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