克保(柏楊) 異域 (1)

 
 戦争は無情である。勝利と失敗、誰の知恵がもっとも優れているかで決まる。孫子の兵法にも曰く、「多算勝、少算不勝」である。元江の悲劇は、私たちの「算」が決して少なかったわけではないが、その「算」をひどく間違えた結果ではあるまいか。こういうふうに考えれば、私はたくさんの問題に思い当たらないこともない。

 しかし、いわゆる天運。いろいろな意味において、いろいろな言い方もあろうが、結局こうしたことはみな一言で言えば天運なのではあるまいか。それが、間違いに間違いが折り重なるように溜め込まれていき、そこに決め手となる大間違いが加われば、天運はすでに定まったようなものである。

 大軍が潰走ののち、戦死したものは戦死し、幸運にも生き残ったものは銃器を取り上げられ、敵は我々を川辺に引っ立てて、しっかりと厳重に警備した。だがとにかく耐えがたいのは、自らのかつての部下に捕虜にされた敗将という立場であろう。

 これら敵軍は、もとはといえば、昆明を守備していた廬漢の保安隊であった。かれらが警戒線の外側から我々を見る鋭い視線は、我々を情けなくさせ、さらに苦しめてくる、恥知らずなものだった。李彌将軍が捕らえられる前は、昆明で「蒋総統万歳」と高らかに叫んでいた廬漢の文化工作隊員は、今や、寒風が吹きずさむ山の上で焚き火をし、その火のまわりで歌い踊っていた。

 帽子の上に光り輝く紅星をつけた一人の将校が、我々生き残った兵士達に訓話を垂れ、共産党の六大政策を謳い上げていた。我々一人一人が平和に故郷に戻り、生産に復帰できることを保証した。みな静かに聞いていたが、ちょくちょく首をすくめていた。子供たちは泣き喚いて、女たちは啜り泣いた。延々と続く敵軍の歌舞のように、この将校もまた永遠に喋り続けるのではないかと思われた。

「お腹が空いたよ」

一人の子供が突然叫んだ。

 その将校は、まるでその言葉を待っていたようだった。その言葉を子供が言おうが大人が言おうが、それには関係ないようではあったが、話の要点を押さえたところで、かれはみなに向かって満面の笑顔でこう言った。

「人民解放軍は、すでに熱々の饅頭と大量の牛肉スープを用意しています。ただし、条件があります。誰があなたたちの士官か、我々に教えてください。そう、指差してくれるだけでもいいのです。少尉以上の士官です。我々はさらに優遇するつもりです!」

 しかし誰も動かなかった。彼はまるで動物の調教師が獣にするようなやり方で、人類を扱っている。しかし、こうした誘惑にはあまり効き目がないと知ると、今度は我々に厳しい怒りをぶつけ始め、顔を引きつらせてみなを指差した。
「お前らはみな豚以下の存在に過ぎんのだ。それが威風をかざしやがって。将校になっていた連中は、日頃は偉ぶっていたが、いまは他の連中が自分が将校だと知らないことだけを願っている。しかし今や、お前らの行為は豚より上か?まったく、気骨のかけらもないような奴等が、お前らの上になっているなんて、運が悪いと謂わずして何と謂うか!」

 みなの胸中は怒りに燃えていた。妻は怒りに震える私の手をさっと引いて、呻くように私に言った。

「耐えるのよ、克保。子供たちはまだ小さいの」

私は左側をちらっと見たが、仲間たちはみな口をぎゅっと閉じていた。しかし、表情には無数の動きが見え、彼らが奥歯を噛み締めて怒りに耐えているのがわかった。ちょうどそのとき、ぼろぼろの背広を着た、やせ細って風采の上がらない人間が立ち上がった。

「しまった!」

 私は心の中で叫んだ。あの|韋倫《ウェイルン》(訳注、以前、昆明にいたころ、同じ小部会に克保も参加していたので、お互い顔見知りである)だ。いったい、いつのまに軍と一緒に撤退してきたのか。ここでなにをしているのだ。

「おお!同志、あなたのお話を喜んで伺いたい」

例の将校は至宝を獲得したかのように両手を伸ばした。

 韋倫はその将校に向かってゆっくりと歩いた。それはまるで雲南大学の演台に登るかのようであった。そして後ろの歌舞も止み、すべての耳目が彼に注がれた。彼がなにをしたいのか、誰にも見当が付かない。みなの心はすぐにも壊れそうなほどに緊張していた。韋倫は大粒の涙をこぼしながら、その工作隊員達に大声で言い放った。

「あんた方は自分のしていることが分かっているのかっ」

「同志…」

その将校が返した。

「悪いが私はあんた方の同志などではない」

韋倫は静かに答えた。

「私は中国人だ。道義を持った、忠節ある一人の中国人である。あんた、自分の帽子の徽章を見てみるがいい。あんたの帽子には、青天白日(国民党のシンボル)の徽章が付いてたころの丸い跡がまだ残っているじゃないか。我々が豚ならば、あんたはいったい何者だ?その徽章を五星(共産党のシンボル)に換えて、昔の同僚を厳しく詮索すればするほど、共産党はあんた方を大事にするとでも思っているのか?歴史は繰り返すというじゃないか。呉三桂が永暦帝をどのように扱ったかは知っているだろう(訳注、永暦帝は明朝最後の皇帝。呉三桂は寝返って明朝敗北の決め手になる山海関を開き、清朝が成立する。しかし呉三桂もまた清朝によって討滅された)。あんたたち文化工作隊は、人を殺したとしても、どうして殺したのかもわからんような単なる餓鬼の群れじゃないか。おまえらのように寝返った保安隊の連中こそが、豚の群れではないのか。どうなんだ、豚の群れっ!」

 みな咄嗟に頭を下げた。五、六人がさっと出てきて韋倫を地面に押さえつけたあと、彼を焚き火に向かって放り投げた。彼は悲鳴をあげて飛び上がったが、彼に燃え移った火はすでに大きく燃えていて、彼はのたうち回った。それでもなお、罵ることを止めなかった。文化工作隊が桶いっぱいの水を汲んできて彼にぶっかけた。彼はまだ喘いでいたが、そのまま連れていかれた。

 彼は抗いながらも、小石が散らばる地面を引きずられていく。みなはひっそりと押し黙っていたが、その摩擦がじゃりじゃりと聞くに耐えない音を発していた。

 自ら飛び出していかなかったことで、私は慙愧の念に何度も襲われた。自分が一人の懦夫にすぎないと思えた。それからの日々、韋倫のことをしばしば思い出すことがある。彼は時代にそぐわないという点では、たかだか一人の青二才読書家にすぎなかったが、権勢に対して永遠に屈することがないという、人類におけるよき象徴ではあったことになる。
 世の中のために、厳として正気を保った男だったが、残念ながら我々には彼の写真もない。いつか、私は絵描きに頼んで彼の肖像画を描いてもらおう。私は、彼の輪郭を、詳細に説明することができるのだから。

 さて、私がこの元江から脱出して逃れ出られたのは、その翌日の深夜であった。実は一日目にもすでに何人かが脱走していたのだが、どうやら敵には発覚していないらしかった。さもなければ、発覚しても大したことだと思っていなかったとも思える。

 二日目の夜、私は数名の仲間に手伝ってもらって、ゲートルで娘を背中に縛り付け、息子を肩の上に載せた。それから、私と妻は一枚ずつ板を抱え、切り立った崖から川へと、縄で降ろしてもらったのであった。



 私たちは元江の流れに乗って漂い流れていた。冷たい水が骨を刺すようだ。時折、岸の上から風が銃声を運んでくる。私たちはどこへ行くのだろう。どこまで漂い流れていくのだろう。もっとも、一緒に逃げ出した仲間たちに、このことを口にする者はいない。大きな災難に見舞われたとき、人は往々にして群れをなす。元江は唯一の脱出ルートであり、みなが黙々とこの出口に向かったのである。

 板にしがみついてこの流れに乗って漂っている限りは、体力をあまり消耗しないで済む。しかし、内心では憂い恐々としていた。子供たちは一向に泣き止まない。子供の泣き声には心が打ち砕かれそうになる。

 もし、彼らの親たちが、この精力を別のことに傾けていたとしたらどうだったろうか。この子たちは心の底から純真に笑っていられる年齢だ。もしかしたら、アメリカや、台湾で、鞄を持って同級生たちと追いかけっこをしていたかもしれないのだった。だが現実はそうではない。これは私の無能のせいだ。子供たちよ、申し訳ない。この子たちの小さな魂は、おそらく永遠に私たち親を許してくれないであろう。

 ちょうど真夜中ごろだったろうか。南側の岸に何者かが焚き火をしているのが見えた。元江鉄橋における焚き火での出来事は、まだ我々の印象に深く刻み込まれていたので、焚き火を見た我々は思わず緊張して震えがきた。

 仲間の一人が、川岸にあった岩の上の木にしがみついて川岸を眺めた。またある者は、気にせずに板を漕ぎ続けた。火を焚いている場所は、ちょうど船着き場のようになっていて、その上には一人もいない。昔話に出てくる妖怪の城を窺うかのように、じっと構えていると、堤の後ろの方から声が漏れ聞こえてきた。

「おい、国軍か?」

「何者だ?」

我々は叫んだ。

「早く上がってくるんだ。さあ、川岸に飛びつくんだ」

「あなたたちは?」

「我々は第七○九連隊です。みなさんを救出しにきている。さあ、早く上がって。対岸の共産匪賊が撃ってくるかもしれないから気をつけて」

 私は実にこのようにして李國輝将軍と再び相見えたのであった。私たちは古い友人でもある。彼は元江鉄橋を爆破してしまったあの孫錦賢将軍とは異なる。あまり喋らず、ぶっきらぼうで、頑固過ぎるキリスト教徒という、いわば逆の種類の人間なので、けっして他人うけするような感じの人柄ではない。

 こうして書いている現在、彼の状況を聞くところでは、彼は台湾で暮らしていて、生活はとても苦しいらしかった。私は彼の住所も知らず、私の手元には彼が以前中緬辺境地区で撮影した写真があった。しかし、送るに送れなかったので、手紙を何通か書いたあと友人に頼んで届けてもらったのだが、一向に返事がなかったのである。なぜそうなってしまったのか。彼が返信しなかったのか、それとも、彼は返信したけど私に届かなかったのか。すべては霧の中である。

 大部隊が壊滅したいま、中緬辺境地区のすべてが、彼一人の指揮下にあった。七◯九連隊の麾下にある遊撃隊の幹部たちは、李國輝将軍に似て、とくに目立ったところもなければ、強面でもなく、かといって、人の歓心を買うようなところもない飾り気のない男たちだった。しかし、一度作戦に参加すると、勇猛なること他に比べうる者がないのであった。中緬辺境地区のありとあらゆる戦闘の記録において、彼が関わらなかったことはないといっていい。




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