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【金三角 邊区 荒城】 二十八 苦難は尽きず果てしなく続く

二十八、苦難は尽きず果てしなく続く
「武装解除後、孤軍はまるで全軍が殺されるのを待っているようなものであった。辛うじて生き延びているときに、タイ政府は第二回の武器引き渡しを命令してきた」

チャチャイ少将がメサロン(メーサロン)を離れるその夜、孤軍たちは村の外れまで彼ら一行を丁寧に見送った。武器弾薬が驢馬の背に載せられてゆらゆらと遠ざかり、山の凹みで見えなくなるまで、その眼は血の混じった涙とともに見守るように見つめていた。みな寂寞として一言も出ず、ただ黙々と現実を受け入れていた。たった今、異域孤軍たちは、上は将軍、下は兵卒に至るまで、わずかな間にただの民間人になってしまったのであった。こうした境遇については、中国に古い詩句があるが、まさしくその「解甲帰田(兜を脱いで田に戻る)」である。我々がこうした詩句を口にするとき、それは争いが終わって平和となった、美しい意味で語られることだろう。だが、孤軍の身の上には、反対にやるせない冷たさだけが残る。半生を戦乱とともに過ごしてきた。国のために死ぬこと、国のために血を流すこと以外、彼らにできることはなにもないのであった。兜があれば外せるであろう。田があれば耕せるであろう。しかし、この北タイ一帯は世界でももっとも痩せた土地なので、雑草や蔓草以外、どんな農作物も簡単には成長しないような土地なのである。しかし、これはまだ最重要というわけではない。重要なのは、武装解除されたあとはほとんど衣服を剥がれたも同然で、彼らは外界からやってくるあらゆる変化に対抗する術を失ってしまったことだった。これこそが、彼らを無口にして、気持ちを重く沈ませていた本当の理由であった。

洗いたてのようにがらんとした司令部。一人の年若い小隊長が、低い声で段希文将軍に報告した。彼は、一部分の武器を引き渡さず保管していたのであった。それを聞いた段希文将軍は色をなした。

「なぜそんなことをしたんだ?」

「我々は銃がなくては生きられません」その小隊長は怒鳴りかえした。「我々の敵はたくさんいるんです。彼らがもし我々が丸腰であると知ったときには……」

「しかしこれは背信行為だ」段希文将軍は言った。「我々はすべて差し出すとタイ政府に約束したではないか。彼らは中国人が承諾したと信じているぞ」

「チャチャイ少将の話が聞こえなかったんですか?」その小隊長は地団駄を踏んだ。その様子はまるで段希文将軍が彼の上官でもなければ部下でもないといったふうであった。「我々が武器を引き渡したことが一旦敵に耳に入ったら、我々は即血まみれです。兵士たちだけじゃない。我々の家族も、婦女も、女房も、抱かれている赤ん坊もです」

段希文将軍はその若い小隊長の野性的な顔と涙を含んだ眼を注視して、じっと考え込んでいるようであった。しかしそのとき、一人の兵士が駆け込んできて、水源が何の前触れもなく途絶えたことを報告した。さらに、時をおかず、こんどは別な水場でも水が出なくなったという報告が入った。いったい何が起こっているのか。段希文将軍は、わずかな時間ですべてを覚ったのである。

「で、その武器弾薬はどこに隠してあるんだ」

小隊長は言った。「山のくぼ地のところです。タイ側に調査されると……」

「どれだけあるんだ」

「カービン銃が四十丁ばかりと、英国製の銃が二十丁ほどです」

段希文将軍はメサロン(メーサロン)の即時封鎖を命じた。いかなる者も、それがたとえ少数民族の婦女子であろうと、入ることは許すが、出ることは許さない。そして武器を配布した。水道管の切断は悪い兆候である。どこから来るかもわからない敵は、おそらく武器引き渡しの情報をどこかで得ているのであろう。復讐の時がやってきた。そう思うと待ちきれなかったのか、攻撃はさっそくこの晩に行われた。

我々はもうこの戦闘について詳しく語る必要もないであろう。早すぎる攻撃を仕掛けてきたのはタイ共産党から離反した一部隊であった。彼らは孤軍を一挙に殲滅することを狙っていたようだが、結果は、メサロン(メーサロン)の入り口の門が開け放たれていて、彼らがそこに入ってくると、孤軍の待ち伏せ攻撃の罠にはまった。血まみれの結末から孤軍を救ったこの年若い小隊長こそ、十年後の名将、|楊維綱《ヤンウェイガン》将軍の若き日の姿であった。彼は一九八○年カオヤイ山(訳注、タイ中部の山岳地帯)の戦役では、副師団長兼前線総指揮官を担任した。もし、この若く階級も低い一人の軍人の荒っぽい決断がなかったら、孤軍とその家族の婦女子たちはどうなっていたか分からない。

段希文将軍は速やかに武器を補充することを決定した。今に至るまで、兵器の売買は大っぴらに行われているのがタイである。爆撃機と戦車以外は、ほぼ何でも買えるといっても過言ではない。私はチェンマイで、まるで台北で冷蔵庫を売るかのように、リボルバー拳銃を買わないかと持ちかけられたことがある。異なっていたのは、月賦がきかないことだけであった。孤軍が武器を購入する巨額の資金はどこから来たのかと、かつて疑われたことがある。さらに踏み込んで、事実であるかのごとき語気でもって非難している。こういう人たちは、孤軍が本当に血まみれになって、彼らのエアコンが効いた部屋が、その血で真っ赤に染まってしまったことに慷慨激昂しているような高官たちである。

孤軍が再度武力を構築することは容易ではなかった。段希文将軍は自らバンコクへ赴き、タイ政府の同情と理解を求め、タイ政府もそれに対して同情し理解を示し、さらに、孤軍が国境警察業務に協力することを求めてきた。日々じわじわと面倒なことになっていく山地の治安維持に関して、段希文将軍も何らかの形で恩に報いる必要であると考えていた。こうして、何ごともなく一定期間が過ぎていったが、段将軍はすでに、ある種の普通とは違う臭いを嗅ぎ取っていたのであった。世論は徐々に大きな波風を立てようとしていた。日々強くなる圧力は、またしても最高統帥部に向かった。野心的な政治家たちタイ軍の高級将校に対して、九十三師団はどうしてまた武装しているのかと質問攻撃を加えてきた。最高統帥部はまたしてもこの種の圧力に耐えきれなくなってきた。そして、孤軍にいかなる武器も保持しないことを要求してきた。こんどは段希文将軍の腰のピストルもだめであった。この命令を厳格に執行するため、また、軍部が軍人同士の気遣いから孤軍を庇う、との野党側の攻撃を避けるため、政府は大臣クラスの内閣官房副長官テゥーウェイイッサラ氏をタイ北部に派遣して、武器の引き渡しを監督することにした。彼はメサロン(メーサロン)とサーンティワナーをしらみつぶしに捜査すると宣言した。

孤軍に言わせれば、これは苦難、あるいは、大海で大波を食らうような災禍であった。なんとか頑張って波を一つ越えると、もう一つの波がすぐさま打ち寄せてくるようであった。しかも、そうした波の一つ一つは孤軍を海底に葬り去るのにじゅうぶんな大きさであった。「苦味が終われば甘味がやってくる」と俗に言う。しかし、孤軍の「苦味」は、いつまでたっても終わらないのであった。この情報が間違いなく真実であるとみなが認めたときには、さらに悲惨なことになっている。武装していないという現実の結果は明らかであった。タイ政府の内部には、明らかに多くの権力を持った官僚たちが、段希文将軍の良き友であったが、こうして大風が吹いて大波がやってくるときは、彼らはみな顔を出そうとしないのであった。実際のところ、顔を出しても何の役にも立たないのであったが。しかし、テゥーウェイイッサラ氏が警備兵を待って出発しようとしていたその前の晩、まるで天から急に降ってきたように、一つの凶報がラオス国境からバンコクにもたらされた。この凶報はタイ政府を呆然とさせたのだが、一方で、孤軍の困難を救う手がかりにもなった。北タイの山地に大至急でやってくるのは、テゥーウェイイッサラ氏ではなくて、最高統帥部からの一枚の命令書であった。当時はまだ大将ではなく少将だったクリアンサック陸軍副参謀長は、段希文将軍にチェンライで会議を開くことを要求してきた。

政策は再度変更された。タイは一転して、パーダンへの攻撃を孤軍に要請してきたのである。



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