【金三角 邊区 荒城】 二十三 武装基地と難民村

二十三、武装基地と難民村
「孤軍の拠点は夜空の星のようにタイ北部に散らばり、地域の安定にとっても重石となっているのである」

クリアンサック大将が「異域」孤軍末裔に救いの手を差し伸べたとき、全タイの中国語紙は、一言も語らず一文字も書かなかった。「同是天涯淪落人、相逢何必曽相識(※訳注、みな落ちぶれて天涯を彷徨う人々であるのに、出会うのにどうして古い知り合いである必要があろうか。白居易「琵琶行」の一節)」そして、数千年に渡る「政治掛師(※訳注、政治に由来する戦争)」のせいで、同じ華人同士でさえ、生死に関わる災難であっても、往々にしてただ手をこまねいて傍観するのである。だが一紙、バンコクの「世界日報」は二日連続で|塞翁《サイウェン》記者の記事を掲載して、ものごとを真正面から解説していた。その見出しからは、その内容の「尖り具合」が見える。

旧九十三師団はタイに極めて忠実である
かつてはともに防共に協力して勇戦した
麻薬王の一味とはまったくもって無関係

報道によると、
「ほとんどの新聞は、九十三師団と、今回討伐された麻薬王クンサーを一緒くたにしているが、それは完全に事実とは相容れないものである。記者はチェンライに二十年暮らしているが、それまではバーンヒンテークにそれほど大きな麻薬精製工場があるなどとはついぞ聞いたことがないし、このクンサーなる人物や関連する件も同様である。しかし、今回突然この様な戦闘が勃発して、外部の人々がまるで見てきたことのように、クンサーが九十三師団の麾下にある部隊であるかのように書いたり喋ったりしている。それ自体おかしなことである」

記事はさらに証拠を挙げている。
「クンサーと旧九十三師団はまったく何らの関係もないばかりか、それぞれ異なる山に割拠している。川の水が井戸の水に染み込むことはないのである。それだけではない。双方には深い仇恨すら存在するのである。もしみなが健忘でなければ、十数年前の出来事を覚えているであろう。双方はラオスのモンコンで衝突し、双方が命を賭けた惨烈な戦闘が起き、大勢の死傷者を出して双方とも兵を引いているのである。この事変以降、双方は心の中では互いに仇と睨み合い、いつも小競り合いが生じていた」

タイのすべての中国語紙は始終、クンサーに対する論評を避けてきたので、「世界日報」の記事は第一号ということになる。この報道ではクンサーが「狡猾」な「麻薬王」であると、非常に厳しく指弾している。この報道があったのは二月十日、そして、関連報道が二十一日に公表されたとき、私はまだチェンライにいたのだが、友人たちはみな塞翁氏の身を案じていた。みなある種の「予感」があったのである。殺し屋が彼を見過ごすはずがない、それは私の心に深い影を落とした。

「殺人によって人の口を封じられるとは信じられない」私が言った。

「信じてもらう必要はないさ」潮州料理店を経営する一人の青年が言った。「殺すことができる人間がそう信じるだけですでに十分だ」

どうであれ、「異域」孤軍末裔がタイから追い出されることも、作戦に動員されるおそれも、すべて過去となったようである。だが、危機は依然として存在している。タイ国内には混乱、神秘、恐怖、変幻が充満しており、さらにタイ北部国境ではその傾向がより顕著だ。ここは、何につけても確実ということがない地域なのである。一つだけ確実なのは、やはり今後も混乱、神秘、恐怖、変幻が続くということである。

「異域」孤軍末裔の存在は、この地における重要な重石になっている。クンサーの武装集団がビルマ共産党やタイ共産党と同盟したら、この国境線に小さな穴があき、タイはそれだけでも持たない。一旦野心的政治家のごときが孤軍を追い出せと要求したり、あるいは孤軍が行き場を失って山岳地帯を出て行ったならば、タイ北部はおそらく、国境線がどこにあるのかも、すぐにわからなくなってしまうだろう。状況がここまでくると、我々にも孤軍に対する圧力が減少したことがわかる。クリアンサック大将など、真相をよく知る人たちによる説明があったというだけでなく、同時に、タイ軍最高統帥部の深謀遠慮がそう決めさせたことも重要な要素であろう。

ここで、我々はまた孤軍末裔たちと、彼らが居住する難民村についてのルポに戻ろう。だがルポに戻る前に、読者のみなさんにお願いがある。付録の地図を見てほしい。もしこの地図を手元において参照していただければ、それだけでも、我々が説明する際にはいろいろと説明するより簡単に一目瞭然となるからだ。地図上の四つの記号に注意してほしい。

▲バーンヒンテーク(満星疉)
●普通の都市
■孤軍の根拠地
□難民村

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 柏楊 金三角辺区荒城 難民集落地図


さらに、みなさんにはとくに知っておいていただきたいことがある。今回のタイ北部への取材は、駐タイ遠東商務代表處の官員たちの妨害を受けたため、政府資料を手に入れる術がなかった。こうしたすべての資料は、いろいろと苦労して、手探りで手に入れたものである。付録の地図で難民村と示されているが、これらは記憶にも印象深かったか、話に聞いたいくつかを列挙できたに過ぎない。これら難民村の実際の数はいかほどだろうか。一九七九年政府発表の統計によると、難民村二十六、華人学校二十四(三つの中学を含む)である。そして、現在に至る一九八二年、難民村の数は説によっては三十三か四十。中国大陸救災総会が援助する華人学校は二十八(うち五つは中学)。難民村も華人学校も明らかにその数が増えている。いくつかの難民村は孤軍の武装基地であるが、ほとんどは純粋な難民村であり、その居民は、退役した孤軍で、さらに、その末裔、家族親戚、さらに馬幇(※訳注、雲南省から北タイにかけて分布する、騾馬による輸送と陸上交易で生計を立てている雲南系華僑)および、少数民族である。それらの総人口は誰にもわからない。タイ政府も二つの孤軍軍司令部も、ともに把握していない。したがって、我々にはさらにわからない。だが、一説では(あくまで一説によれば)だいたい五、六万人程度とされている。もし、華僑系末裔のタイ人なども含めれば、このタイ北部には以前記したように、華人はおそらく二十万人程度いると思われる。誰もがこの数字を正確かあるいは不正確か判断することはできない。かつて誰も調査したことがないからだが、我々にしても大雑把に見積もっただけである。




関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
Facebook Page
検索フォーム
ブログ記事一覧
プロフィール

deguchik

Author:deguchik
中国語で書かれた作品から、北タイやビルマ(ミャンマー)シャン州、黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)の歴史や風物を読み解いていきます。
個人のFACEBOOKページ
このサイトのFACEBOOKページ

Contact/ご連絡

Your name/お名前:
Your E-mail/メール:
Subject/件名:
Message/本文:

RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR