【金三角 邊区 荒城】 二十二 クリアンサック大将の挽回

二十二、クリアンサック大将の挽回
「現在は国民民主党の党首であるタイの前内閣総理大臣は、身をもって孤軍の潔白を保証した」

孤軍が向き合っている危機、それは、タイを追い出される可能性だけではなかった。もう一つの危機、それはなにか。孤軍がタイにやってきてからすでに二十年の歳月が過ぎている。新しい世代はすでに成長していて、一部にはタイの国籍を持つ者もいれば、タイの居留証を取得した者もいる。「よろしい。君たちがどれほどタイ、そして国王陛下を愛しているか、行動をもって証明するときが来た」。タイがまさにベトナムと、その弟分であるカンボジアのヘンサムリンが東部国境に迫り、タイ北部の問題を顧みる力がないときに何がありえるか。タイ軍最高統帥部は孤軍たち武装部隊に対して、黄金の三角地帯への出撃を命令するじゅうぶんな権力と理由を持っているのだ。

これは恐ろしいシナリオである。クンサーが三度暴れただけで、タイの北部国境はすぐに混乱に陥ったぐらいだ。タイ政府がいまひとつ情況を支えきれていなかった数日の間、孤軍最高の二人の司令官、第三軍軍団長|李文煥《リーウェンホァン》将軍と第五軍軍団長|雷雨田将軍《レイユーティェン》はそれだけで憂いが高まって、食べ物が喉を通らなかった。「○四指揮部」から孤軍へと送られてくる一つ一つの電報が、すべて彼らの心拍を速めている。国家という立場に立てば、彼らにはたとえそれが不可能であったとしても、統帥部が発するかもしれない「孤軍を派遣して麻薬組織を討伐せよ」との命令を拒絶することはできない。これはある種、血は水よりも濃いという悲しみであり、孤軍たちは手を下すことはできない。

「我々は戦える」一人の下士官が私に言った、「だが我々はおそらく泣きながら戦うことになる」

そうなのだ。敵が倒れようとも、自らが倒れようとも、いずれにせよ、死ぬのはすべて中国人なのである。万里の雲の彼方の異域で、華人たちは必ずしも団結しているとは言えなかった。山々に依って立ち、平常時は互いに行き来もなく、反対に干渉し合うこともない。殺し合いがあっても、それはそれぞれの地盤の中での話にすぎないのである。クンサーのやり方は恐ろしいものであったが、華人に対してはある種特別な感情を持っているようである。これは、彼がバーンヒンテークに全力を挙げて、華人の学校である「大同中学」を創設したことからも見て取れる。話によると、彼の部隊による兵士調達のための男狩り、食料を奪うときには、華人であり、中国語を話せるというだけで、ほぼそうした目に合うことはないという。みな程度の差こそあれど、ともに天涯を漂泊する身、寄る辺のない炎黄子孫(※訳注、炎黄は中国人のルーツのこと)。

こうした情勢に孤軍たちの心が重苦しくなってゆくだけであるというのは、理解できることである。今のところこうした危機は発生していていない。天に感謝すべきかもしれない。だがみなはまだ心配している。バーンヒンテークがすでにタイ軍の手にあり、将来もし、戦闘が再発すれば、タイは孤軍を徴することはないのだろうか。これを予測することは難しいのである。孤軍は謂われもなのにクンサー一味と一緒くたにされただけでなく、さらに、自分たちの家の下に、手がつけられない爆弾を埋め込まれたようである。まさに、王克志さんがいうように、孤軍も被害者である。そして、さらに厳しい被害はまだこれからであろう。

だが孤軍の危機は一時的に過ぎ去ったようである。この点はクリアンサック大将に感謝すべきかもしれない。この、タイの前首相は、現在国民民主党の党首を務めているが、身を挺して立ちはだかって孤軍を弁護してくれたのであった。バンコクのルンピニー公園でタイ記者クラブが主催したチャリティーランニング大会。彼は記者に囲まれていたとき、記者が取り上げてきたのはこのセンシティブな問題だった。彼はこの件に関しては権威であった。なぜなら、「異域」第二次台湾撤退後も残留していた孤軍が、タイに入ってきた後、かれは主管官員としてこの孤軍関連の業務に携わってきたからである。

今回の彼らのやりとりは、タイ語紙に公表されている。
「記者;目下、九十三師団(孤軍)がタイ領内から撤収するという説を唱えている人がいるようですが、何かご意見はおありでしょうか?」

クリアンサック大将の答えは、
「武装解除後の九十三師団については、タイ国内への居留を許すというのは、歴代政府の政策ですから、これをもし変えたいというのであれば、それは、政府のやることでしょう」

クリアンサック大将は記者に対して説明を続けた。九十三師団がタイに入ってきたころ、タイ政府は即座に彼らの武装解除を行い、彼らが生きていけるよう取り計らった。たとえば、造林や護林、または、袋茸や龍眼などの植物や果樹の栽培である。

クリアンサック大将によると、当時北タイに入ってきた九十三師団の部隊は約六千名いたが、みな武装解除されたという。その後、彼らはタイ共産党との戦いに投入されて、千人あまりが死傷した。

そこで、クリアンサック大将は言い切る。九十三師団のこうした行動は、必ずしもタイ政府に雇われて行ったことではないが、共産党分子による国内の騒乱を受けて出てきた状況である。タイ政府は死傷者に対して、一人当たり一万バーツの見舞金を支払っており、このほか、我々はさらに、彼らが政府の道路建設などに協力するよう求めた。タイ政府の考えでは、彼らはすでにタイ領内に居住して、タイ政府の統治を受け入れる恩恵を受けており、彼らとしても政府に協力するのは当然だということだ。

クリアンサック大将は言う。
「政府によるこうした九十三師団関係者に対する政策処理は、政府が制定した政策に基づいて最高統帥部がおこなったものだ。初期の目標を達したのみか、すでに八割方到達していると言っていいだろう」

やがて記者の質問は、ある人によると、九十三師団が罌粟を栽培して、さらに阿片やヘロインを販売しているというが、それは事実なのかという話に及んだ。

だがクリアンサック大将は「その人はそれが嘘ではないと保証できるのかね」と、逆に聞き返した。

孤軍の第五軍司令部は、この華人の友ともいうべきクリアンサック大将のためにメサロン(メーサロン)に別荘を建てて、彼には長いスパンで滞在し、視察してもらうようにした。全土で総選挙が実施されようとしていたこのとき、クリアンサック大将のこの談話は、記者というよりもむしろ有権者に向けたものであった。タイの官員はメサロン(メーサロン)およびその他のいかなる基地、難民村そして、背後の山区に直接出掛けて調査することができた。事実上、メサロンとサンティワナーには、タイ政府の連絡所ができていて、治安維持に当たっていた。孤軍の家族や村民たちが、チェンライ、チェンマイ、バンコクへ親戚に会ったり商いに行くなどの用事でこの地域を離れるときは、この連絡所が通行証を発行する(私が知る限り彼らは華人に対しては友好的であり、面倒は起きない)。連絡所は孤軍たちから尊敬され、毎日二度、朝夕にタイ国旗を掲揚する時、通りかかった村人達はちゃんと敬礼する。こうした場所で罌粟を栽培するなど、元々不可能なのである。

クリアンサック大将が太鼓判を押したことは、政界においても世論においても即座に反響を呼んだ。マスメディアは人々に対して真相を説明し始めた。挿絵(※要画像)は、タイの「未来雑誌」が黄金の三角地帯について報道した記事全文の中の一ページである。この部分はちょうど九十三師団を紹介した部分で、彼らに対する同情と賞讃の気持ちに満ちている。だが、記事本文ではクリアンサック大将とクンサーの結びつきについて書かれてもいて、いわく、一本の戦略道路がバーンヒンテークまで開通したことは、阿片運搬が便利になっただけだと切り捨てている。しかし、九十三師団については、「鋭い爪を隠し持った猛虎」と喩えている。だが深く考えていくと、やはりこれは尊敬ではないと思うのである。そして、嫌な予感がする敷衍でもあった。




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