【金三角 邊区 荒城】 十六 第二次阿片戦争

十六、第二次阿片戦争
「一連の銃声が鳴り響き、二人の父子は馬から倒れ落ちた。アメリカ人はそのブラックリストが実在することを深く信じざるを得なくなった」


一八四○年の第一次阿片戦争から、一九八二年に起こった今回の第二次阿片戦争には百五十年の開きがある。しかし、罌粟栽培と阿片取引の内幕とその過程は、たとえ厳密に隠し遂せていても、整理されてくれば、やはり、明確な脈絡が存在していた。こうした脈絡を知らなければ、なぜ現在、今日、このような現状になっているのか、さらには、将来どのように進展していくのかまったく予想する術がない。黄金の三角地帯は決して、勝手に空から降ってきたものではないし、羅星漢やクンサーにしても、孫悟空のように何のいわれもなく岩の割れ目から飛び出して来たわけではないのだ。このような歴史の大きなうねりがあったからこそ、タイの麻薬組織撲滅は「予想どおり」尻すぼまりの結果に終わったのである。現在、バーンヒンテークとタイビルマ国境地区一帯は、すでに戦闘もなく、以前の平静を取り戻し、桃源郷のような情景に戻っている。

しかしながら、人々は始終一つの問題に掻き回されていた。その問題とは、タイ政府はなぜ「いま」麻薬組織撲滅作戦を実行に移したのかというものだ。当然、こうした行動を取ることが決まっていれば、それがいついかなる時に起きても、結局はこの様な問題になるのは否めない。だが、なぜタイの東部国境が喫緊の懸案となっている時、つまり、ベトナムとその手下であるカンボジアのヘンサムリン政権が絶えず国境を侵していて、タイが十分緊張しているこの今なのか。国際情勢にわずかな注意を払っている人ならば、見出すことができるはずだ。もしベトナムとカンボジアの連合軍が裏でしっかりと打ち合わせて、怒涛の勢いで電撃的に攻め込んで来られたら、おそらく一日でバンコクは彼らに占領されてしまうだろう。タイ国軍統帥部が、いかに目眩ましで自らの武力を強大に見せかけたとしても、事実上タイ国軍は迅速で勇猛な一撃に耐えきれないに違いない。こうした難しい状態にもかかわらず、国軍は兵力を引き抜いて、タイ北部山岳地帯の、蚊に刺されたほどの取るに足りない小問題に対処しなければならなかったのか。ここが理解に苦しむところである。

みなが一致して認めるところでは、タイはアメリカの圧力を受けているという。こうした認識は普遍的であり、さらには、裏付けが取れてくると、世論の強烈な反応を引き起こす。記者たちは政府に対して質問を浴びせている。外務大臣シット大将は一月二十九日、特別にこれに対応する談話を発表した。彼の言うところによると、「タイにおける今回の国際的な麻薬組織であるクンサーの部隊に対する掃討作戦につき、アメリカ政府筋から賞賛された。彼らは我々が行ったことを正しいことであると考えている」だが、声明は続く、「我々は麻薬組織に大打撃を加えたが、それは外国の圧力によるものではなく、我々はただ、以前のいくつかの政権が積み残した事務を押し進めているに過ぎない」

外国からの影響を絶対に受けていないとの印象をより強化するために、タイ政府は二月三日、さらにもう一踏み込み、長々とした政府広報を出した。その中で特に詳しく、「クンサー事件については、先月(一月)二十一日、今回の決定的な行動に踏み切る以前、かつて、昨年(一九八一年)七月二十一日にはすでに、タイ政府は五十万バーツ(純金五キロ)の懸賞金を彼に掛け、その身を確保せんとしていた。昨年十月六日から八日にかけて、武力による掃討を行い、バーンヒンテークからチェンライへ向かう途中であった、麻薬を満載した二百匹の驢馬からなる荷駄隊との間で遭遇戦が発生した。敵方は百三十名の死傷者を出し、さらに、三カ所のヘロイン精製工場を破壊した。これにより、クンサー一味の士気は下がり始めたものの、まだ頑なに大部分の部隊をタイビルマ国境地帯に展開したままであった。我々はまず最初に爆撃を行い、その後、政府は慎重に検討を行った。その結果、部隊を投入して毅然とした行動を取らなければ、やがてはチェンライ市の官民にも危害が及ぶものと判断した」

昨年、つまり一九八一年の二度にわたる実力行使について、私がバーンヒンテークでクンサーの副官に証拠を求めたとき、彼は驚いていた様子であった。彼は新聞記事を読んで初めて、こうした二度にわたる実力行使があったことを知ったからであった。彼が言うには、もし本当に空陸からの大規模な軍事行動が、二度も行われ、しかも、それで百名以上の死者が出たのであれば、今年、つまり、一九八二年の死者とほぼ同じ人数であり、それはそのまま、背の戦況が激烈であったものを物語るとも言えよう。ならば、第二次阿片戦争というものは、一九八一年にすでに発生していたことにはなるだろうし、そんな騒ぎがあれば世界各国がみな知りうることも、また、今日の状況を待つ必要がないことも自明だ。

こうした、書けば書くほど真っ黒くなっていく下手な絵画のごとき、拙い説明の後付けは、駐チェンマイ米国領事館員が慌ててバンコクへ撤退したという話の尾ひれがついて、人々をして、アメリカの干渉があったことにじゅうぶんな理由があると感じさせるものだった。しかし、問題が続いて発生しているのに、アメリカはどうしてまたこんな時に干渉するのであろうか。一体どのような事件が、彼らにこういう選択を行わせたのだろうか。おそらくそれは高度な機密のベールに包まれていて、誰にもわからないか、知っている人はその口をぴったりと閉じていることであろう。私はチェンマイ南方の小さな村で、華僑系のタイ人青年と、中国語と英語のチャンポンに、身振り手振りを加えて話しているうちに、ある輪郭が浮かび上がってきた。さらにその後、タイ軍のとある将軍の口から裏を取ることもできた。その華僑系のタイ人青年は、私がやがて新聞にこの報道を掲載することを知ったとき、付け加えるように言った。
「いま私が話したことは書いてもらっても構いません。ですが、我々の国家、我々の国王王妃陛下を傷つけることのないようにしてほしいのです」

そしてその将軍は、私がこの内幕を報道すると聞いたとき、恐れをなして言ったのである。
「我が家にある大小合わせて七つの命、それはあなたの手に握られている」

私には、国王や皇后を傷つける気持ちなどないし、さらに、誰も助けてくれず私が途方に暮れていたときに、あえて私を助けてくれた友人を傷つける気などないのは当然のことだ。だが、バーンヒンテークの北の山道で起こった一件の銃殺事件ならば、みな知っている。私はわずかな推理とこれらの事実を突き合わせたことで、疑問が氷解し、一連の事件を結ぶ一貫した関連性がすべて明かになったのであった。人々が聞いた話というのはこういう話だ。アメリカ大使館は昨年(一九八一年)、クンサーが作り上げた暗殺リストを入手した。リストアップされていたのは、すべて、国際麻薬取締り組織のアメリカ人工作員であった。しかも、のちにチェンマイで、そのうちの一人が追撃を受けて命を失ったことで、アメリカ人たちはパニックになった。当時、|張紫英《チャンズーイン》氏という、チェンライではすこぶる名望がある華人がクンサーの近しい友人であった。彼はクンサーの立場を弁護しつつ、アメリカ大使館筋に対して、あらゆる角度からこの暗殺リストを分析してみても、やはりこれは偽造であるとしか考えられない。「もし、仮にこれが本物であるならば」彼は言った。「私がクンサーに掛け合って取り消してもらうよう取り計らいましょう」そしてアメリカ人は彼の手に委ねることに同意したのであった。

連絡を済ませ、クンサーは張紫英氏を彼の司令部に熱心に招待した。昨年(一九八二年)十一月のある日、クンサーは迎えの人数を送って、張紫英父子をバーンヒンテークへ連れてきた。彼ら父子はクンサーの部下たちと盛大な宴会で埃を落とした。宴会のあと、武装した物々しい警備の人数に保護されながら、この二人は馬に乗ってバーンヒンテークを出て北へ向かう山道を進んでいた。目的地は、とある場所にあるといわれている「シャン州革命軍司令部」である。ひととおり進んだのち、父子の左右を並走していた護衛たちが、突然隊形を変えて三日月状になり、馬の行く手を塞いだ。張紫英氏が驚いていると、一人の壮漢がすでにカービン銃を構えていたのであった。

「申し訳ありません。我々の司令官が、お二人をあの世へお招きしたいとのことです」

一陣の銃声が山に響き渡った。父子は声を出す暇もなく、馬から倒れ落ちた。この二人の亡骸は今に至るも見つかっていないし、もちろん、誰一人として探そうとは思わないのであった。この伝説の中には一つの解釈が見て取れるだろう。クンサーが、張紫英氏が国際麻薬取締り組織の工作員であると考えていたことは間違いないだろう。そして、このような娑婆の掟に反する振舞いは、クンサーの別な一面をえぐり出し、それはまたアメリカ人たちに、そのブラックリストの存在が真実であることを深く信じさせるにいたるのであった。

さて、ここまで書いて、読者のみなさんは、私が「司令官」からのご招待を蹴ってチェンライから慌てて逃げた一幕をまだご記憶であると思う。私は張紫英氏とは異なり、クンサーの友情なるものにそれほど大きな信を置くことはない。私とクンサーはどのような状況にあっても、面識すらなかったからである。




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