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【金三角 邊区 荒城】 八 和談

八、和談
「鳴り物入りの軍事行動は、轟轟と始まり、揉み消されるように終息した」

クンサーの部隊による三回にわたる反撃と脅迫。タイ政府の反応は声を大にして怒鳴るだけであった。彼は脅しどおりにやりかねないと考えたのである。タイの地元紙はこれをこの出来事を稀有なニュースとしてとらえていたようだ。しかし、アメリカ人にとっては恐ろしいことであった。それは、クンサーの部隊が反撃を実行する場所が、じわじわと南下してきており、その南端はチェンマイに迫っていたからである。チェンマイにはタイ王室の離宮があり、タイにおける副都のようなものである。国際麻薬取締組織の事務所、アメリカ領事館もこの地にあった。彼らはクンサーの力量をよく理解していた。あるアメリカ大使館員が言う。「チェンマイはすでに安全な場所ではなくなってしまった。クンサーの手下の殺し屋たちに言わせれば、バンコクでさえそうである。しかし我々が逃げ出せるのはチェンマイだけで、バンコクを引き払うことはできない」彼は私を見つめて突然言い出した。「もしあなたが私の話が大げさであると思うかもしれないが、台北だって安全な場所とは言えない」

このようにして、国際麻薬取締組織とアメリカ領事館は、クンサーに攻撃される前にバンコクへ避難したのである。彼らはタイ政府に彼らを守りきる力はないと考えており、さらにいえば、タイの役人はクンサーとは一心同体ではないかとすら考えていたのである。

アメリカ人はこれほど緊張していたのであるが、それにはもっともな理由があった。まず、主要なポイントとしては、国際麻薬取締組織は、アメリカ人を主体としていることだ。そして、国際麻薬取締組織に対してクンサーは恨み骨髄である。こうした組織のいかなる密偵であろうと、あるいは、彼にそう思われたというだけで、世界の隅に逃げたとしても、彼は必ずその者の命を奪う。先ほどのアメリカ大使館員も言っている。「実は去年、チェンマイでアメリカ人が一人殺されている」

こうしたさまざまな話で、アメリカ人が慌ててチェンマイから出て行くとすれば、それはやはり理由あってのことなのだ。もし殺し屋がすべてのアメリカ領事館員を皆殺しにしたら、誰も彼らを生き返らせることはできない。さらにまずいのは、たとえ現在のアメリカが大きな力をもっていても、クンサーが報復を躊躇することはないことであった。

タイ政府が捜査の末に麻薬を見つけられなかったのは、十分不思議なことと言わねばならないし、クンサーの一連の反撃は、さらにタイ政府の頭痛の種ともなっていた。ここで重要なことは、タイ政府の権力者のなかに、クンサーとことを構えることに対して根本的に反対しているグループがあるということだ。また、タイ国軍にしても表面化しにくいものの、やはり怨みがある。それは、大事なものはさっさと包んで持ち出される(成果の横取り)のに、自分たちには命を張らせているという現状だ。内務大臣スッティー大将はこうして、「麻薬狩り」の成果に対する鳴り物入りの宣伝を少しずつ抑制し始めたのである。彼はマスメディアに対して、通知を発して、新聞等が刺激の強い見出しや写真などを使って不必要にことをかき回し、のちのち、読者が政府が十分な成果をあげていないと錯覚してしまうようなことがないよう、綿密に検討の上、国家と国民が新聞等によって導き出される「感覚的な損失」にじゅうぶん配慮するよう求めたのであった。

こうした内務省の談話からは、勇ましい麻薬狩りのはずが、結局は尻すぼみの結末に終わっていることが読み取れる。そしてその尻すぼみの後ろには、さらなる尻すぼみ、つまり、和談の開始が待っていた。二月一日と二日の両日、タイ国軍バーンヒンテーク指揮部は代表を派遣した。二機のヘリに乗り込んだ代表は、国境警備警察第五○六号駐屯地へ向かい、クンサー側の代表と接触した。軍側の代表は、陸軍戦略局の高級幹部と国境警備警察の指揮官。クンサー側の代表は、バーンヒンテークで私が面会した副官である。

和談の結果は、まずは停戦を先行させることであった。こうした協定は何度も崩壊の危機に瀕した。たとえば、私がバーンヒンテークに着く前日にも衝突があったのである。だが、それが最後の衝突となった。

和談は、現在双方の実力が拮抗している印象を一般人に持たれる。しかも、タイの国境を犯して侵入しているとはいえ、取るに足りない外国部隊とタイ政府が和談を行っていて、しかも相手は麻薬を手にした麻薬王である。これが、全世界の注目を集めて、全世界から喝采を浴びた「歴史的な第二次阿片戦争」と呼ばれた出来事の情けない結末であった。今日のことがわかっていれば、どうしてこのようなことを起こす必要があったのかと、呆れ返らせただけである。

だが、タイ政府は何事もなかったかのように装っているが、タイの世論は騒がしくなった。タイの記者はさらに追いかけた。二月一日二日両日に、第五○六駐屯地でいったい何が起こったのか。どうして、いつもは出入り自由の記者たちが、その二日間だけ押し止められ、警備が厳重になったのか。現在重要な事項を行っている最中であるとするならば、記者たちはその重要な事項とは何なのかを知りたがったのである。鋭い追求が行われる中、内務大臣が声明を出した。これは決して和談ではない。単に双方が面会をしているに過ぎない。内閣総理プレム・チェンスラヌオン大将は、「クンサー武装集団は、『タイ国境愛国部隊委員会』の名義でタイ政府に対して書簡を寄せており、その書簡で、彼らはタイの法律を尊重した上でタイ領内に居住しており、タイ政府の政策に従い、国家の建設にも協力する。また、今回の麻薬撲滅行動については、当局がアメリカの意を受けたものと誹謗している。この書簡については、タイ政府でもじゅうぶんに分析、検討したが、クンサー側が政府との談判を強く希望していると理解している。しかし、政府は彼らとは絶対に取引しない」と述べている。そして記者が、内務大臣がいう和談とは、取引ではないのか、内閣府の命令ではないのか、とさらに追求すると。これには答えず、ただ首を振るだけであった。

スッティ大将がいう「面会」もまた事実を糊塗するため、さらに一つの談話を発表する。「報道においては、刺激の強い表現や、ことを過大に捉えないようお願いしたい。政府はすでに本件に関して明確な政策を決めている。すなわちそれは、本件に関しては、いかなる交渉の余地も存在しないということである。なぜなら、国家と国民の安全に関することがらについては、政府は無条件にこれらを優先するからだ」と述べ、さらに、「バーンヒンテークの人々はすでに平常どおりの生活に復帰している」と強調した。

雲も霧も去ると、細かい細工が見えてくるようだ。いかようにも解釈できる外交辞令には際限がない。だが、一つだけ確かなことがある。戦闘は終息し、避難した人々はみな家に戻ってきたことである。

バーンヒンテークの被害はそれほどでもなく、概ね、十棟ほどの家屋が砲火で燃えただけであった。




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