【金三角 邊区 荒城】 七 三つの反撃

七、三つの反撃
「クンサーは中国語のビラを撒き、タイ政府に謝罪と賠償を要求。拒絶すればさらに大きな衝突につながると宣言」

証拠の阿片が見つからなかった。このことは、クンサーを強気にさせていた。タイ政府も国際的な麻薬取締機関も、いや、全世界の世論でさえも、彼を麻薬王であるといっていた。よろしい、では、今回の襲撃で阿片はどこにあったのか。証拠があるなら出してみろと、公に問うたのであった。タイ政府は証拠を出すことに苦心し、次の二つの点を挙げて大きく宣伝するしかなかった。

第一に、国境警備警察が少なくない武器弾薬を押収したこと。強力な自動小銃八千丁、弾薬二十トンをバーンヒンテークの大通りに並べて各国の記者に写真を撮らせた。だが、確かにこれで気分を盛り上げることはできたかもしれないが、クンサーの麻薬売買の証拠にはならない。シャン州革命軍である以上、当然武器弾薬は保有しているだろう。もしこうした武器弾薬がなければ、いかにしてシャン州の独立を戦いとるのか。石や棍棒か。

第二に、タイ国軍が国境警備警察と交替して、バーンヒンテークの北方の山に入って掃討戦を行った際、ある場所に罌粟が生えていた。一人の兵士がこれを手に取って言った。「政府が公に、国内には阿片が存在しないというならば、この罌粟は一体どこから来たのか」タイの地元紙はこの刺激的なニュースを報道したが、これもまた、何も証明することができない。なぜなら、北タイと東ビルマ、つまり、黄金の三角地帯において、クンサーどころか、羅星漢が世に出る前から、罌粟の栽培がすでに行われていることは周知の事実だったからである。

タイ国軍が国境警備警察の任務を引き継いだ後、やはり同じように山区にも入り込み、さらに、銃撃戦も発生したが、一月二十四日にはすべての軍事行動は完全に停止した。その後も銃撃戦が発生することはあったが、それは脈絡もなければ、回数もわずかであって、死傷者はほんの僅かであった。もし、レマルクの「西部戦線異状なし」にいう戦争の定義によるならば、宣伝だけは大きく触れ込んだこの麻薬撲滅作戦は、一月二十四日で収束してしまったのである。これからはむしろ、いかにして善後策を進めていくかであるが、実は本当の困難はむしろこちらの方にあった。誰がこの任務を引き受けようとも、目下のこの状況では、誰にもよい善後策などはない。

一方、張家(クンサー)のほうは、バーンヒンテークを失ったばかりか、面子をも失った。面子とは威望ともいうべきだろう。クンサーは友人に裏切られたような憤懣を感じていたに違いない。一月二十五日、全世界の華人が春節をともに過ごして温めあっていたときクンサーは反撃に出て、タイ政府の顔色を青ざめさせた。その日のタイの地元紙の一面には、以下のような見出しが踊った。

麻薬組織がついに報復行動へ
メーサイの警察署を襲撃
交番一カ所と自動車四台が炎上
現地では死者五名負傷者四名

タイ内閣府報道官ナイダイローン氏は、五人の死者のうち、警官の死者は一名で、あとの四名は民間人であると発表した。だが、クンサーの副官によると、実際には一人も死んでおらず、殉職した警察官というのは、彼らの捕虜で、のちに「和談(お手打ち)」の後、釈放されている。もっとも、彼らはメーサイの中心にある泰華農民銀行(タイファーマーズバンク)を襲撃して、重大な損害を与えている。タイの地元紙は実際の損失額を公表していないが、消息筋からのある情報を載せている。バーンヒンテーク事件が発生する前、クンサーはヘロインを売却したが、その値段は百万バーツ(純金にして約十キロ)。だが、買い手が振り出した泰華農民銀行の小切手はまだ換金されていなかった。

今回の報復行動は国境地帯を震撼させた。

そして二度目の震撼はすぐにやってきた。二日後の一月二十七日、クンサーの部隊は九一三型迫撃砲でタイ国軍部隊を徹夜で砲撃し続けた。砲撃は二十八日午前三時まで続いた。タイ国軍統帥部の発表ではたったの三発ということになっている。だが、バーンヒンテークから五キロ離れた龍村(住民はすべて中国系)に避難していた難民は、あれは砲撃戦だったと考えている。その砲撃戦が進行する中、三十名の男たちで組織した決死隊がバーンヒンテーク南方十キロの国道上で、乗用車三台、小型トラック三台、ダンプカー一台、バイク一台、道路局の貨物車二台を押さえ、荷物を空っぽにしたあとすべての車輌を焼き払った。ただし、誰も殺していない。

私とガイドは車輌が燃やされた地点に行ってみたが、燃やされた車輌は、すでにすべて撤去されていて、その部分の路面が焼け焦げた跡を見ただけだった。タイ政府副報道官ワニラジーが、「今回車輌を襲撃して民衆の荷物を奪い取ったクンサーの部隊は、見たところ非常に疲労しており、おそらく食糧が不足しているものと思われる」との談話を発表したが、私が知るところでは、彼らの食糧が欠乏していたという事実はない。

三度目の反撃はその翌日、一月二十八日午前十一時に行われた。前日に車輌を襲撃した地点からさらに南に二キロの地点のシャールー村である。クンサーの決死隊はその地にいた国境警備警察の二○一部隊を包囲した。この戦闘では双方とも犠牲者は出ていない。決死隊はタイ側の増援が到着して逆に包囲されることを恐れてか、十数分の睨み合いののちジャングルに消えた。

この、示威行為のような反撃と同時に、シャン州革命軍は中国語で書かれたビラを配布した。彼らはいかなるマスメディアも持っていないし、いかなる新聞もラジオ局も彼らを弁護してはくれない。世界が見たり聞いたりしている報道は、すべてタイ政府と西側メディアの記者から報じられたものである。戦闘が発生してから私がバーンヒンテークに到着するまでは、一人の中国人記者もクンサー側の人間と接触していなかったのである。彼らにとって唯一の方法は、ビラを配布するだけである。彼らはタイ語ができないので、中国語でビラを作るしかないのであった。

だが彼らはビラの中できっぱりと声明している。シャン州革命軍は絶対に麻薬の密売を行っておらず、彼らが所有する武器弾薬はすべてビルマ軍から奪ったものである。そして、彼らの唯一の目的はシャン州の独立であり、タイを傷つける意図は少しもない。彼らがタイビルマ国境地帯に存在することは、タイの「異動分子」の浸透を防止する上で非常に大きな貢献をしている。しかし、タイ当局は反対に彼らの前進基地であるバーンヒンテークを攻撃して、革命軍、住民およびその住宅に重大な損失を与えた。したがって、彼らはタイ政府に対して謝罪と賠償を要求する。さらに、もしタイ政府がこれを拒絶するならば、それはさらに大きな衝突をもたらすことになると警告している。

ここでいう「異動分子」とは、タイ政府とメディアがよく使う用語である。タイ共産党、ミャオ族共産主義勢力、分離独立派イスラム教徒、その他あらゆる種類の反政府武装団体を指す。ビラの中にある「異動分子の浸透」とは、すなわち、もしシャン州革命軍が間に存在しなければ、ビルマ共産党は南下し、タイ共産と合流するという意味である。





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