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【金三角 邊区 荒城】 二十九 パータン戦役

二十九、パータン戦役
「孤軍の前には虎狼、後ろには何万尺もの崖に切り立った細道、一歩さがればそれは即、死を意味した」


普通の地図上で見ると、チェンコンはすぐに見つけることができるが、パータンはなかなか見つからない。チェンコンはチェンライ県に所属する郡である。もし盆地という定義がそれほど厳格でないのなら、チェンコンは確かに小さな盆地の上にあり周囲には高山がそびえる。タイ北部ではもっとも高いフアモン山の上に、切り取ったような形の台地があり、その台地の上の寂れた村、それがパータンである。パータンは天から降ってきてそのまますっぽり出来上がったような村で、南側にはチェンコンを俯瞰する。北に向かえば、山々の麓に横たわるように流れるメコン河が見える。そのメコン河の対岸はラオスである。当時、ベトナム戦争は凄烈に戦われており、ラオス王室は瓦解寸前であって、いつごろからか、パータンは苗族共産勢力に占領されていた。かつてラオス王室の勢力が強かりしころならば、パータン山はとくに戦略的に重要な場所ではなかったが、そのころ、パテトラオはすでに、一つの軽視できない武装集団と化していて、パータンはそうしてタイとラオスの共産主義勢力の連合軍が南下する際の出撃基地になっていたのである。

タイ政府が孤軍に対して二回目の武装解除を求めた一九六八年、インドシナ半島各国の共産党は、アメリカによる南ベトナム掃討戦に反撃するため、全兵力を総動員して戦場に投入した。パータン山もまたその例外ではなく、苗族共産勢力は、ある月の出ていない夜を突いて、チェンコンを襲撃、町長に談判を要求してきた。もし談判を拒絶するなら、間断なく攻撃を継続していくと通告してきた。彼らは談判の目的は単に、糧食、食塩、茶葉の供給などであった。

「我々は購入資金を準備している」苗族共産勢力が談判を求める文書に言う。「そちら側の決めた値段どおりに支払うものとするが、必ず販売すること」

チェンコンの町長は談判の要求に答えた。場所はチェンコン郊外約二キロの場所にある寺であった。苗族共産勢力の対外的な発表によれば、その町長は、彼らの革命精神に痛く感動し、自ら自発的に彼らに加わってともに去った、ということになる。これを聞いたタイ政府は、彼の身に何が発生したかすぐに察していた。即座に一個連隊の国軍精鋭を救援に派遣したが、苗族共産勢力の反応は迅速にしてかつ、弱点を見事に突いていた。彼らは間違いを認めて、伝言を入れてきたのであった。町長を釈放することは認める。もし、チェンライ県の県知事が、直々にチェンコンへ赴いて彼らの言い分を聞き、彼らの要求を受け入れてくれれば、彼らとしては武器を引き渡してもよいし、かつ出身地での農作業に戻ってもいいとさえ言った。

「ただし、かならず県知事が自らの言葉で我々に保証すること。その後、その内容を保証する公文書を交付してくれれば、我々は国軍と、あえてことを構えるつもりはない」

タイ政府は上下一致して苗族共産勢力が国軍に屈服したと思い込んでいた。その県知事(今はその氏名を探し出すことができないのだが)にしても、道義上からも引くことはできず、自ら虎の穴に飛び込んで行ったのであった。西洋にはこういう諺があるそうだ。「一回騙されたら相手が悪い。二回騙されたら自分が悪い」こう考えると、この県知事は、自分の責任で騙された方になるだろうか。だが、我々は彼を尊敬すべきだ。彼の目的はただ、流血を避けんがためだけであったのだから。果たして、この「投降受入」の結果は、例の町長の「談判」と同じような結果になってしまった。これほどの頭脳戦が、おままごとを演じるかのような子供たちの遊びになったのである。

県知事は捕らえられた。そして、県知事の護衛に責任を負っていた警察局長は射殺されてしまった。タイ政府にはすでに他の選択肢はなかった。掃討のため、国軍を急行させるとともに、さらに戦車を送り込み、その上爆撃機を投入して爆撃も加えた。フアモン山の尾根は折曲がり、また、急峻である。その標高は定かでない。ある孤軍兵士によれば、チェンコンを黎明に出発すると、くねくねと羊の腸のように折れ曲がった小路を行き、黄昏時まで登りつづけて、やっとパータンが見えてくるという。こうした地形では、戦車はただ山裾をぐるぐる走り回るだけであり、もし飛行機による攻撃でも、何百機と投入して、二十四時間を十日間連続で爆撃し続けて、やっと守備する側の息の根を止めることができる。結果的に、国軍は大きな損失を出しながらも山の中腹までも攻略できていないうちに連隊長が重傷を負った。百余名が山道に屍を晒し、ついに連隊は崩壊、肉の上にたかる蝿が飛び去るように、命からがら四散した。

この悪い知らせはタイ全国を震撼させたが、同時に孤軍を救った。タイ国王は自ら最高統帥部に対して厳重なる関心を伝えた。そして、負傷兵がバンコクに回送されてきたときには、王妃が病院へ慰労に訪れた。常識的な考えでは、ここでタイ政府は継続してさらに大きな兵力を派遣すべきであった。しかし、最高統帥部にしても再度大兵力を派遣することに躊躇していたのであった。もし、そうした大兵力を投入して作戦に失敗した場合、時の勢いに押されてしまい、すでに振り返ることもできなくなって、勢い、全国にある兵力を総動員しなければならなくなるであろう。そうした状況は、敵が狙っている人心撹乱の罠にタイがすっぽりと嵌ってしまうことを意味しているし、そうなれば国際社会の笑い者にされるだけだ。そうして、彼らは孤軍の存在に思い至ったのであった。チェンライ会議の席上、当時のクリアンサック少将と段希文将軍の了承事項は、もし孤軍がタイを助け、バダンを奪い返したならば、タイ政府は以下について優先的に考慮することであった。まず、孤軍の武装解除を行わず、再武装を認めること。そして、もし孤軍が同意して、タイに忠誠を尽くすのであれば、タイ政府は孤軍をタイ軍の軍事機構内に傍流として受け入れ、合法的にタイに居住することを認める。いわゆる傍流とは、孤軍は外国の武装部隊であり、タイ国軍に編入する事ができないための措置である。だが、自警団に類する組織を結成して最高統帥部の管轄下に入る。

現実は段希文将軍が孤軍に対して伝えたとおりだった。これは一つの重要な鍵である。もし拒絶すれば、あるいは拒絶しなくても戦闘に敗れれば、タイには孤軍のための立錐の寸土もなくなってしまう。今回の会談の結果は、太陽が東から昇るよりも明らかであり、孤軍はこれを受け入れ、そして戦いに勝つしかなかった。しかしこれは重要な決断であった。段希文将軍はさっそく第三軍の李文煥将軍と打ち合わせて、険悪な状況と、その対応について、たとえある者が異議を挟み込んだとしても、双方が歩調を合わせることに同意した。

「我々がどうしてタイ人のために戦わなければならないんですか。我々はタイの傭兵になってしまったんですか」

だが、タイ軍の連絡官は注意を促した。「ですが、それならば、どうしてみなさんはタイに居住しているのでしょうか。どうしてタイは、タイに忠誠を持たない外国の武装勢力を置いておく義務を負っているのでしょうか。あなたたちの中国では、そんなことはありえますか?」

段希文将軍は要点を見抜いていた。この機会をものにする以外、孤軍が生き残る道はない。機会は一度だけ門を敲く。そして一旦それが去れば、誰もタイ政府の孤軍駆逐命令を押し返す力を持っていないのである。

「もしタイ政府が駆逐命令を出したら」段希文将軍は反対意見を持つ者を説得した。「君たちには一体どんな方策があるというのだ。状況はまた、当初我々が武器を引き渡した時と同じ情況に戻る。だれが我々に補給してくれるのだ。それに、補給なくして、いかにしてタイ軍に手向かうのか。一言だけ言おう。君たちには忘れないでもらいたい。こののち、我々が生き残っていく唯一の道は、タイ政府と協力すること以外にない」

みなはこうしてこの残酷な現実を受け入れたのであった。そうなのだ。いつだってそうなのだ。孤軍の前には虎狼、後ろには何万尺もの崖に切り立った細道、一歩さがればそれは即、死を意味しているのである。




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