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【金三角 邊区 荒城】 六 払暁の攻撃

六、払暁の攻撃
「どちらが先に発砲したかはもはや重要ではない。重要なのは、一発の銃声で戦闘が発生したことである」


タイ政府は今年(一九八二年)一月二十一日、バーンヒンテークに対して払暁の攻撃を発動した。バーンヒンテークは小さな盆地であり、四方は連綿と続く山々に囲まれているが、急峻はなく、ただ、山また山が続いているだけである。もしある人間がここで行き倒れになったり撃ち殺されたとしても、まず三年は見つかることはないだろう。死体から発せられる死臭にしたところで、風に吹かれてしまえば数日で散ってしまい臭わなくなることだろう。実際、虫や蟻もいるし、山犬や狼などが常に出没するわけなので、死体は腐乱する前に彼らに綺麗に食べられてしまい、結局はその食後の滓しか残らないだろう。

バーンヒンテークはずっと長いこと、見たところ平和な村落であった。ときどき発生する殺人事件や、見せしめのために一家全員を惨殺するといった惨禍があったかもしれないが、百年以上遡っても戦争という事態はなかったはずだ。ごく普通に暮らす良民たちにとっては、タブーに触れるようなことをしなければ、たしかに十分に保護されて自由自在に暮らすことができる場所であろう。シャン州革命軍が徴収する「税」も、この村の人々と外界との接触のようにごくわずかである。静か過ぎてまるで世界から忘れられたようであり、また、この村も世界を忘れていたのである。

張蘇泉はその日、バーンヒンテークの住宅にいた。

戦闘前は何も異状が認められなかったのだが、当日一月二十一日早朝、山にかかっていた靄が少しずつ晴れていき、薄い黄色の光の帯が東の尾根から弱々しく差し込んできたころ、山麓にあった参謀長張蘇泉の自宅に、タイ国境警備警察の一隊がそっと近づいてきていた。この住宅は、英語版アジアウィークが形容するところでは、車庫、プール、テニスコートまであったというが、残念ながら私はこの眼で見たことはない。私がバーンヒンテークに来たときには、なおタイ兵士の手中にあって、見ることができなかったのである。国境警備警察が事前に得た情報では、クンサーはその日の晩は張の自宅に滞在しているとのことで、できればこの機会に襲撃して一網打尽にしようとしていたようである。だが彼はその夜はここにおらず、張蘇泉と彼の家族だけだった。突入部隊は張の自宅の門の前まで来ると、なぜかここで大声で話し始める。

実はこれこそが典型的な「いかなる冒険もしない」タイの作戦方式であった。異域孤軍の末裔の、とある真面目な軍人が私に言った。「もしあの時突入していれば、誰も逃げられなかったはずだ」そして彼は言い切る。「タイの国境警備警察は戦うのではない、ただそのようなふりをするだけだ」

国境警備警察の話し声に、この豪邸の主と衛兵が驚いて跳び起きたのは言うまでもない。どちらが先に発砲したかはすでに重要ではない。重要なのは、一発の銃声から戦闘が発生したことである。国境警備警察が右から迂回させた部隊が寺を越えて回りこみ、退路を断ったため張の自宅は四方を完全に包囲された。この突入作戦と同時に、国境警備警察はバーンヒンテークの村落で強制捜索を行っており、バーンヒンテークの全人口のうち約五分の四の華人たちはすべて村を追い出されていた。それから、水道などの住宅設備、家具などを、各戸ごとに破壊して回った。もっとも、壊すには惜しい品々の場合は別で、家から持ち出されて整理されていた。

国境警備警察の今回の大規模な強奪は、崩壊した紀律という面もある。だが、彼らは明らかに宿怨を抱いていた。シャン州革命軍と権勢に任せて横暴であった一部の華人は、日頃から傲慢な態度をとっており、少なくない怒りの種を蒔いていたのである。彼らは重要なことを一つ忘れていた。「ここはタイの領土である」という事実だ。しかし、タイ人は忘れることはなかったのだ。だが、少しはましだと思われることもある。我々は想像もできないが、もしこれが別の国の部隊による作戦であったなら、おそらくは一列また一列と老いも若きもみな殺害されて、一人も生き残らなかったであろうということだ。

地上での攻撃が展開されたのと同時に、軍は十機以上のヘリコプターも出動させて山の方へ向かわせ、上空から視認される積み上げられた阿片、ヘロイン精製工場、シャン州革命軍司令部などに爆弾を落として粉砕した。こうして、山にもバーンヒンテークの村にも一時は多くの火柱が上がった。これはかつてない大きな異変である。山の中にある「もう一軒の張家」にしても、敵を防ぐことは当たり前だが、まず最初にやらなければならないことがあった。彼らの参謀長を救出して逃すことである。

黄金の三角地帯の民衆は、それがシャン州革命軍を指すものであれ、麻薬組織を指すものであれ、一律に「張の一家」と呼んでいる。ここからクンサー(つまり張奇夫)の関係と重要性が見出せる。

クンサーは十人の決死隊を組織すると、山を下りさせた。熾烈な砲火の中、彼らはタイ国境警備警察の包囲圏内に潜り込んだ。クンサーは鉄の掟でことに臨む男である。敵に対して迅速かつ残忍な報復を行うことでその名は辺境地区中に知られているのである。彼ら決死隊もまた知っている。もし彼らが張蘇泉を救出できなければ彼らにしても、それは死あるのみ。第三の道はない。もしその第三の道をゆく、たとえば逃亡などすれば、結果はより恐ろしいことになる。それゆえ、彼らは自らを顧みることなく奮い立ち、火の海に飛び込んでいくのである。この狂気は国境警備警察を驚かせた。このとき、彼らは戦争とは何かということがようやく理解できたのであった。タイの統帥部の一人の軍人が私に語ってくれたが、彼らのすべての死傷者のうち、この時の戦闘で発生したのは六割を越える。

張蘇泉は国境警備警察が口を開けて呆然と見守る中、山へと消えて行き、一件の空き家が残された。やがてそこから発見されたのは、クンサーと張蘇泉が、一家全員でバンコクや香港、シンガポールに遊びに出かけたときの写真であった。これが物語ることは明らかだろう。金銭は神に通じる。神は彼らを自由に行き来させていたのである。

国境警備警察は勢いに乗って彼らを追って山へ挺進した。尾根を一つ越えると、「張家」の部隊は猛烈に反撃してきた。最初は十機だったがのちに一、二機に減らされたヘリコプターは山が続く草叢のなかではまるで威力がなかった。ビルマ政府が苦心して訓練した山岳兵団は、こういうときに威力を発揮したのであった。国境警備警察は前進することはできず、そこで停止。午後になるころには戦闘は膠着した。

注意しなければならないのは、今こうしてこの文章を書いている現在になっても、わずかな阿片もその他の麻薬も押収されていない。今回のタイ政府の大規模な麻薬撲滅軍事行動は、まともな理由なき出師とも言うべき、一つの奇怪な事件であった。




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