【番外編】北タイ・メーサロン 墓誌に刻まれた物語(16)


諸説ある国民党と黄金の三角地帯の関わり 蒋介石の密命

 クンサーが麻薬王として有名になる前に、すでにこの地域でケシの栽培が行われていたことは周知の事実である。このあたりのケシ栽培とアヘン製造は、阿片戦争直後の中国近代史やフランスのインドシナ支配とも深く関わっている。

 やがて、フランスの後を継いでインドシナにてこ入れを始めたアメリカ、その出先機関であるCIA、そしてその資金源となっていくアヘン。戦争には資金が必要である。ゆえにまずアヘンで資金を捻出し、それから戦うのである。そうした資金は利権を伴って周囲に拡散していく。そしてそれを利用して野望を遂げようとする者も出てくる。イランコントラゲートなど、これはいまでもクラシックなモデルとして、現代でも繰り返されているのである。

>>>【金三角 邊区 荒城】 三 麻薬王朝


 プレム首相が登場するまでのタイでも、こうしたつながりがタイの政界に深く影響していたことは公然の秘密である。また、台湾が中共の伸張をうまく退け、米中国交樹立後も台湾関係法というおおよそ常識では考えられないような国内法を成立させた背景ともいえる、アメリカでの強力なロビー活動を行うことが出来たのも、実はこのあたりで産出するアヘンが資金源になっていたからだという話について、ある人から示唆を受けた。

 もし、大陸反攻自体よりも、この資金調達のための活動であるとしたら、蒋介石の密命「今後中華民国とは無縁となるが、なにがあっても残留して活動を続けよ」は、実はこれこそが本質であったと類推されても仕方あるまい。もしそうならば、この問題は東南アジアのみならず、中国史やアジア現代史、ひいては冷戦史の一部ともなってきて、話の舞台は大きく広がる。

 実は、国民党関係者がこうしたビジネスに手を染めていたという記録は、ところどころに残っている。だが、それは生き残るためにアヘンのキャラバンの護衛を引き受けて口銭を稼いでいたとか、羅星漢にはじまる中国系武装組織の系譜に関わる話として出てくるだけで、国民党部隊が「それだけ」を目的として活動していたというような報道はないようだ。

 もっとも、時が下がるにつれて、最近ではアメリカでの公文書公開などで、この地域で何が行われていたかが徐々に明らかにされつつあるようだ。だが、それと同時に、当時を知る者が、つまり、生き証人たちが、一人また一人と人生の幕を下ろしていくということを意味している。


バーンヒンテークの二つの張家

 困窮が原因か、密命が原因か。この一人の男が六十名の手下を連れて、クンサーに身を投じたのはこの頃のことだった。この男の名は、張蘇泉という。

 張蘇泉は記録に残るれっきとした国民党軍の軍人である。一九二六年生まれ、もとの名を張書全。かつて軍校で訓練を受け、一九四九年の共産中国成立時に、国民党軍と共にビルマ領内に入り、李彌将軍の麾下で猛薩にて教官を務め、その後台湾で訓練を受け、特殊戦闘部隊に編入される。一九六一年の国民党軍部隊の台湾撤退(第二次撤台)後もこの地に残り、ラオスで反共作戦に従軍、後にクンサーの部隊に身を投じる。

 その才能は軍事のみならず、権謀術数においても抜きん出ており、彼はやがてクンサー部隊の参謀長を務めた。やがて、クンサーが麻薬覇権に挑む際には重要な右腕となっていた。クンサーがビルマ政府に逮捕されると、クンサー救出作戦の指揮を執りつつ、即座に同部隊をシャン州独立を旗印とした政治的な武装組織として宣伝し、クンサーの麻薬戦争を、単なるシャン州の麻薬利権争いから、一気にシャン州独立を目指す政治運動体の闘争へと昇華させたのであった。

>>>【金三角 邊区 荒城】 四 クンサーの逮捕と救出


 タイ領内にあったクンサーの兵站基地、バーンヒンテーク。この地に二つの張家がある。一つは張奇夫、もう一つはこの張蘇泉である。張蘇泉はその後クンサー投降時に、ともにラングーンで暮らすことになった。

 このような人材がいることで、国民党部隊が麻薬に関与していたとされる根拠になるのか、それとも、少なくない人数がいたので、中にはこのような人材がいること自体不思議ではないと解釈されるべきなのか。そして、この男と台湾当局との関係とはいかなるものなのか。こうした疑問が明らかにされる日はまだ来ていない。

 また、ビルマ政府が投降後のクンサーを手放さなかったのは、アメリカに対する爆弾を握るためだという言い方をするシャン州人がいる。アメリカが二百万ドルの懸賞金を掛けておきながら、引き渡し要求が形ばかりに終わるのは、クンサーやその関係者が知っていることをアメリカで洗いざらい証言したら、少なくない政治家や政府機関にとって都合の悪いことが起きるからだというのだ。ありそうな話である。

 だが確かなことは、やがて、バーンヒンテークとタイ政界の微妙なつながりや、プレム首相を首班とするタイ政府の国際社会に対する意思表示が、二つの張家が存在するこの小さな集落を、戦火で粉々に吹き飛ばすということであった。

 また、このころ(一九八〇年代初頭)には、国民党軍部隊はタイ国内の共産党掃蕩作戦に従軍しており、その功績からタイ国民への帰化を認められ始めていた。彼らの身の上がやっといい方向に向き始めた頃である。したがい、眼と鼻の先ともいうべき場所でこのような戦闘が起きることは非常に複雑なものがあったのではないだろうか。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 タイ国王から表彰される段希文DuanXiWenPhoto02.jpg
カオヤイ山でのタイ共産党討伐に成果を上げ、タイ国王から表彰される段希文


 だが、そしてついにやってきたその日、タイの国境警備警察部隊が、ある問題にけりを付けるべく、空と陸からバーンヒンテークに迫ってきていた。


【番外編】北タイ・メーサロン 墓誌に刻まれた物語(17)へ





関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
Facebook Page
検索フォーム
ブログ記事一覧
プロフィール

deguchik

Author:deguchik
中国語で書かれた作品から、北タイやビルマ(ミャンマー)シャン州、黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)の歴史や風物を読み解いていきます。
個人のFACEBOOKページ
このサイトのFACEBOOKページ

Contact/ご連絡

Your name/お名前:
Your E-mail/メール:
Subject/件名:
Message/本文:

RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR