【番外編】北タイ・メーサロン 墓誌に刻まれた物語(14)

高台に建つメーサロンでもっとも壮麗な墓所

 メーサロンを抜ける国道のちょうど真ん中あたり。中国人学校の向かいのあたりにあるひときわ高い丘にその墓所はある。墓の主は段希文将軍、国民党軍部隊の司令官だ。台湾への第二次撤退後に第五軍を率いてこの地に進駐して基地を築いた。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 段希文の墓所sMaeSarongPhoto003.jpg

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段希文の墓所


 この墓所は、段希文将軍がバンコクで客死して、もともと他の地に埋葬されていた段希文将軍の亡骸を改葬したものらしい。現地の人によれば、今でさえ段希文将軍を尊敬している人が少なからずいて、ちょうどメーサロン全体を見守るかのようなこの場所に墓所を築いたのであった。まるでメーサロンの守り神のようなこの墓所を背に、その左側(東南の方角)に、メーサロンの目抜き通りがうねうねと延びていく様を眺めることができるのだが、まるで見張り所のような立地でもある。
>>>柏楊【金三角 邊区 荒城】 三十二 老兵の死(段希文将軍の死)

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 段希文の墓所genduan.jpg
段希文将軍の墓にお参りする人 後ろはメーサロンの集落

 段希文将軍は、雲南省宜良県(中国でも有数のアヒルの産地として有名な場所)出身の将校で、軍事のみならず、特殊工作の教育を受けていたとされる。国民党が大陸を追い落とされたときは香港に潜伏していた。その後国民党軍部隊の指揮官の任に就いて部隊を率いた。

 では彼と彼に率いられた部隊は、どうしてその後も台湾へ撤退せず、この地に残り、最終的にタイへと帰化することになったのか。そのいきさつを追ってみたいが、これだけいろいろあった人には、かえって墓誌というものがないのであった。逆にいえば、その他の人々は、有名人でなかったからこそ墓誌が必要なのかもしれない。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 段希文将軍DuanXiWenPhoto01.jpg
段希文将軍

 墓誌の代わりに、当時の情況を詳細に説明した記事がある。国民党軍部隊近親者による記事であり、年号や数値などがほぼ一致していること、また、中華民国の公式な説明に沿った記事ではなく、この間の中華民国政府の表裏の使い分けという判断を批判的に論じている記事であり、中華民国国防部の資料から作られたデータと突き合わせても内容に矛盾がないので、これを取り上げて説明してみたい。

>>>兩次奉諭留下,沒有撤台的段希文將軍


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訳文:一九五三年と一九六一年の二度、台湾にある中華民国政府は、国連からの圧力を受けて約一万名強の兵士とその家族たちを台湾へ撤収させた。だがこのころすでに、シャン州一帯には大陸反攻のための基地が数多く建設されており、それを放棄して台湾へ撤収するということは、これまで戦ってきた彼らにとって受け入れがたいものでもあった。だが、一軍人として命令に服従せざるを得ない段希文将軍は、一九五三年の第一次撤退の際、仕方なく撤収の準備を開始した。

 だが、そのとき、雲南省党書記長李先庚(リーシェンユー)を通じて段希文将軍へ、「蒋介石からの密命」が下った。その密命は「継続して駐留し、戦闘を継続せよ」であった。だが表向き、当時の中華民国国防部及び外交部は、全力を挙げて撤収作業を行っており、一兵たりともこの地区に残さないことを外部に強調していた。そして、第一次撤退が完了すると、中華民国政府の対外的な宣伝はこのように変わっていた。

 ……中華民国政府の(撤退)命令を拒否して、この地への残留を決めた遊撃隊員は、中華民国政府がこれを管理すること能わず。中華民国政府は今後こうした人員の処遇について、いかなる関係も維持せず、あるいは、援助や支持も行わない。したがって、中華民国政府は、こうした人員がこの地に残留することについて、または、彼らによるいかなる行為について、一切の責任を負わない……。

 こうして、撤退しなかった段希文将軍などの残留部隊は、「抗命」と「反乱軍」という烙印を押されながらも(上述の蒋介石からの)密命を守り続けた。もともとは祖国のために堪え忍び、撤退時にはようやく建設した反攻基地を放棄する準備を進め、中華民国政府の「表の命令」に従う意向であったのだが、だが、中華民国の「さらなる上層部による密命」によって、この地へ残留しなければならなくなったのだ。

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 つまりこういうことだ。ビルマが自国の領内であるシャン州に、国民党軍部隊が大量に駐留しているという情況は、つまりは侵略であるから、速やかに撤退すべきであると国連に提訴したため、それに続くバンコク四カ国会議(四カ国は、タイ、ビルマ、中華民国、アメリカ)による決定を受けて中華民国政府は彼らの撤退作業を行った。

 だが、それでも残留を希望する人員については、もはや中華民国政府のあずかり知らぬことであると公式に表明した。

 現実は残留して戦闘を継続せよという密命によって彼らは残留せざるを得なかったのだが、その密命は他でもないその政府の一番上に位置する蒋介石から出たものであった。


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