【番外編】北タイ・メーサロン 墓誌に刻まれた物語(13)

 
 そしてその彭家聲も、コウカン地区を経済特区として、一時は国境貿易やカジノ経営などで大いに気勢を上げていたが、コウカンに各種の経済的特権を保証していた、軍事政権の情報部を握っていたキンニュンが、政権内の政争に敗れて追い落とされると、政権とのつながりが弱まっていく。やがて二〇〇九年、コウカン等の武装勢力を国境警備隊に編入してビルマ国軍の指揮下に置くという、軍事政権の要求を彼らが突っぱねた。そのため緊張が高まり、政府軍によるコウカン地区突入(数万人の難民が中国側に逃れた)により根拠地を失い、本人は東のワ族の支配地域に逃げ延びるという事件があった。

北タイメーサロンに根を下ろす

 そのようにいまだに焦臭い情勢が続くシャン州だが、それ以前、すでにメーサロンへ逃げ延びてきていたB氏の一家は、この地で農業に従事した。荒れ地を開墾して農地を作り、なんとか生き延びたとあるが、このころ、台湾から救いの手が差し伸べられる。


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 しかし、こんどはビルマ情勢の悪化によって、民国五十四年※に一家を挙げて南下することになってしまったのであった。北タイのメーサロンに入ってからは、荒れ地を開墾して辛うじて生計を維持し、迫り来るありとあらゆる苦労を受け止めながら、それでも我が家はなんとか生き延びることができた。

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 送炭泰北、送愛泰北と呼ばれる一連の支援キャンペーンは、その頃多くの台湾人、その他の華僑たちにによって支持された。そのきっかけの一つとなった作品が、このブログを作るきっかけともなった克保の異域(新聞連載時のタイトルは「血戦異域十一年」)だ。

 少なくない数の国民党軍部隊がバンコク四カ国会議の決定を受け入れて台湾へ向かったが、同時にまた、少なくない数の国民党軍部隊がこの地に残った(残されたという説もある)。彼らがやがて忘れ去れようとしていたときに、その存在を広く世に問うたのがこの異域という作品であった。

>>>柏楊(克保)異域

 メーサロンなど、中国人が多く住む場所に散らばる中国語名が付けられたコンクリートの橋、中国語の通りの名前を冠した道路標示の看板。これらはこうした支援によって建てられたものであり、その支援母体、中華救助総会は、このような土木系の支援だけでなく、かつてはテレサテンが慰問に訪れたこともある学校や、生計を立てるための果樹など、さまざまな支援を行った。そうした援助と本人たちの努力もあって、メーサロンほか北タイの商品作物栽培は大きく成長した。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 メーサロンの道路標示MaeSarongphoto008.jpg
メーサロンの集落内にある道路標識 タイ語と中国語が併記されている

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 メーサロン近くの村にあるコンクリート橋の道標MaeSarong-scene.jpg
メーサロン近くの村にあるコンクリート橋の道標

 このあたりで数多く産出し、事業としても比較的成功していると思われるライチーなどの果樹、最近はおしゃれなお店が増えてタイ人たちの間でもよく飲まれているコーヒー、そしてメーサロンをなによりも有名にした、台湾へも輸出されている茶葉。特にこの茶樹は、台湾から優良な品種を導入してこの地に根付かせたものである。このあたりの実情は金三角辺区荒城に詳しい。

>>>金三角 辺区 荒城

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 街道沿いで売られているライチーMaeSarongphoto009.jpg
街道沿いで売られているライチー

 そして現代。メーサロンの道は舗装され、道沿いには多くのコンクリート造りの建物が建っている。皆がバイクや自動車に乗って、ケータイで連絡し合い、タイでいちばん標高の高い場所にあるというセブンイレブンもできた。シーズン中には多くのタイ人観光客が涼を求め、自動車を連ねて訪れる。また、タイの食品・飲料メーカー、オイシ(OISHI)が発売した、ペットボトル入りの日本式緑茶には、メーサロン産の茶葉が使われているという話を聞いた。

 かつて私たちの先祖は中国大陸やビルマで戦い、いまは彼らの末裔たちが作った茶葉から抽出された日本式の緑茶が、この地を訪れた日本人旅行者たちの渇いた喉を潤している。わずか数十年の間とはいえ、気が遠くなるほどの長い歴史の営み、そして、彼らの壮烈な生き様に、人間という存在の凄みを感じざるにはいられない。

 さて、このメーサロンを見下ろす高台に、まるでこの街を見守るように建っている壮麗な墓所がある。このメーサロンに中国人移住の種を蒔いた第五軍指揮官、段希文将軍の墓所である。


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