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【番外編】北タイ・メーサロン 墓誌に刻まれた物語(11)

家族と道義を両立させる道

 こうした状況下で、B氏のように、かつて大隊長まで務めた人材が中国から逃げ出してカチン州にいるという情報を組み合わせれば、彼がどうしてこの反共救国軍に身を投じたか、その情況がどのようなものであるかはだいたい想像がつくのではないだろうか。

 たとえば、共産党に対する恨みから、自らそのキャリアを役立てたいと考えたのだろうか。たとえば、かつての部下が反共救国軍に身を投じていて、上司に対して「こんな人材がいます」と報告したのだろうか。

もう一度先ほどの墓誌を読んでみよう。

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 当家がビルマに逃げたとき、李彌将軍が反共救国軍を成立させたため、再度軍役に服することになり、その麾下に入ったのであった。
 その間、亡母が一人で家庭を守り、苦労を乗り越えてなんとか生き残るしかなかったのであった。亡父は民国四十五年に北ビルマに戻ることを約し、数年後に一家は全員揃うことができた。
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 李彌将軍が反共救国軍を成立させたことで、B氏の心の中にはどんな思いが湧き上がっていたのだろうか。国民党時代には県知事まで務めた身であり、そこに投じることも自らの義務であるように感じられたであろうし、この墓誌の二番目の段落から想像してみると、「民国四十五年に再度北ビルマに戻ることを約し」とあり、それによって「亡母一人が家庭の面倒を見る」ことになる状況は、即ち家長としての葛藤であり、参軍はB氏にとっても辛かったであろう。

 家庭を顧みることが大切ならば、永遠に部隊に留まるという選択はありえない。したがって、一定の期間という約束つきで身を投じたのであった。つまり、この民国四十五年という約束は、実質的には反共救国軍との年季の約束であって、家族との約束ではないとも考えられよう。それゆえ、B氏の参軍はおそらく後者の「人材として引き抜きを受けた」の方が妥当であると思われる。

 B氏を加えた雲南反共救国軍は、一九五一年の五月二十一日の出撃から七月二十二日に撤退するまでの約二カ月間、中国領内での雲南反攻作戦を発動した。新編一九三師団を中心とする主力は北回りで、新編九三師団を主力とする陽動部隊は南回りでそれぞれ雲南の地を踏んだ。雲南省にたどり着くと、国境沿いにいた土豪や、カワ族の民兵などもこれに呼応し、一時は省内の県をいくつか占領したが、圧倒的な人民解放軍に押されて撤退した。

 雲南反共救国軍は、ビルマへ戻ったあとも着々と根拠地作りを進めていき、やがてこの地に反共大学なる施設(政治軍事学校)を発足させる。ここには東南アジア中から多くの華僑子弟が義勇兵として駆けつけ、また、当時はラオス国軍の下士官を大量に受け入れたりしている。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 雲南反共救国軍 反共大学

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 また、このときの反攻作戦で、国内から多くの人材も確保した。北タイにいる雲南系中国人のうち、部隊が作戦を行って人材を徴募した地域の出身者が数多くおり、この人たちは、故郷と距離的に遠ざかることを厭うという事情から、後の台湾撤退の際には積極的にこれを拒否した。メーサロンと並ぶもう一つの根拠地であるサンティワナーに基地を置いた、李文煥将軍率いる第三軍にはこうした人々が多いといわれている。

 一方、かつて攻めて来たことがある、しかも、いつ出てくるかがわからない兵力が、中国西南部国境のすぐ向こう側にいる。この現実は中国共産党にどのような思いを抱かせたのであろうか。さらにこのことが、中国による支援を受けたビルマ共産党が数多くの少数民族部隊を吸収して、無視できない大勢力になっていくきっかけともなったのではないだろうか。この後ビルマ共産党はビルマ政府軍と並び、すでに冷戦時代の地政学的境目となっていたシャン州を舞台に、死闘を繰り返す国民党軍部隊の宿敵となる。

 援助したアメリカとしては、中国に対する牽制に成功したといえるのだろうか。いずれにしても、国民党軍部隊は千人程度の敗残部隊から、万単位の人数を擁する精強な部隊へと変化を遂げ、この大きなプレゼンスはインドシナ戦争期に一つの無視できない変化球となって、はてはラオス情勢にまで影響を与えることになる。前述のビルマ共産党とならび、ラオス情勢も国民党軍部隊と縁の深いものとなっていくのである。

 戦争のあと、一民間人となったB氏は、このあと、約束どおり北ビルマに戻ってきて、家族とまた一つになることができたとある。だがA氏同様、この一家にもビルマの内乱が襲いかかるのであった。


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