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【番外編】北タイ・メーサロン 墓誌に刻まれた物語(10)

雲南反共救国軍の成立 李彌将軍の対中共反攻戦略

 国民党軍部隊は、昆明から落ちのびて雲南省を彷徨った挙げ句、ついに中国国内から脱出せざるを得なくなってしまった。国内での玉砕や降伏を選ばず、ビルマへと兵を引いたのは、一度ビルマ国内に移動した後、兵力を蓄えて雲南への反攻を企図していたからであった。シャン州に各部隊を分散して配置して基地を建設させた李彌将軍は、台湾やバンコクを何度も往復し、自らの意志である「国民党軍部隊による雲南反攻」を軍上層部やアメリカに説き回り、またタイ政府要人にも認めさせて便宜供与を引き出す。そのように部隊の指揮権や補給の足固めをしてから北タイに舞い戻ってきた。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 番外編 李彌将軍の写真GenLiMiPhoto.jpg

 なぜ李彌将軍のこうした戦略が軍上層部やアメリカに認められ、そして援助を引き出すことができたのだろうか。そこには、同じ頃、はるか極東で発生していた朝鮮半島情勢、中国の朝鮮戦争参戦が深く関わっていた。アメリカは、台湾海峡に艦隊を派遣し、さらに雲南で国民党軍部隊による反攻を企てることで、朝鮮半島における中国人民義勇軍を牽制する意図があったといわれる。このことから、このあとインドシナ戦争期に入ってから、何度も国民党軍の背後にちらつく米国の存在は偶然ではないことが類推されよう。

 雲南反共救国軍は、ビルマに落ちのびた二つの国民党軍部隊を主力として、さらに、地元の雲南系中国人が参加する部隊と、華僑子弟など新徴募の兵士たちを加え、約二万人の勢力に膨れあがっていた。だが、山奥にばらばらに展開しているため、その補給は困難であった。ばらばらに展開しているのは、広い地域を守ることが必要であり、分散することで食糧問題が小さくなることなどが関係している。

膨脹する反共救国軍兵力と補給される装備 B氏の身の振り

 この間、李彌将軍が政治的に動いたのも、人数はどうにかなっても物資がなければ何もできないという現実を見越していたからであり、また、台湾の上層部やアメリカがそれに乗ってくるという判断も、朝鮮半島における人民義勇軍、つまり中国に対する牽制として、「陸上からの中国に対する脅威」が、成立して間もない中国に揺さぶりを掛ける意味で、とても魅力的なアイディアであることを見抜いていたからであった。

 台湾やアメリカからの物資は、船便の場合はバンコク経由で陸送され、さらに現地へは空中投下なども行われた。そうして着々と大陸への反攻のために部隊と兵站を整え、じっと反攻の機会を窺っていたのであった。

 では、どうしてこのことがB氏に関わってくるのであろうか。急激に膨れあがった兵力と聞いて想像されるのは、指揮系統上の人材不足であろう。新徴募の兵隊とは即ち戦闘の素人であり、その人数を部隊として組織していくと、その上に立って直接指揮を執る士官・下士官が不足する。士官教育は新兵教育のようにはいかず、また、実戦経験の有無は、そのまま資質の差となって現れるものだ。

 雲南反共救国軍の士官不足の影響は、B氏にも迫ってきていたのであった。


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