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埃峩(アイオーという名の男) (5)


 小吉はコップを取り出して水を汲み、彼に渡した。彼が飲み終わったので、こんどは

「もう一度汲んで、彼に顔を洗わせてあげてね」

「アカ族のくせに顔を洗うんですか?」

小吉はそう言ってなかなか水をあげようとしない。

「まあいいから。小吉、あげなさいよ」私はもう一度言った。

「メーサロンの水汲みは大変なのに。まったくもう!」

小吉は舌打ちしながら、水をもう一杯汲んで台所の外に出て、恨めしそうに声を掛けた。

「ほら、あんた。こっちへおいで。水を流してあげるから」

 彼は嬉しそうに笑いながら言った。

「いやあ。腹一杯飯を喰わせてもらった上に、顔まで洗わせていただいて。これで私も生きた心地がしますわい……」

 彼のこの言葉には、私と小吉は二人とも笑い出してしまった。アカ族はたしかに文明的に遅れた原始的な民族には違いない。さらに言えば、タイビルマ国境地帯の山区でも、他者から見下されている面があるのも事実であった。だが彼らは温厚で人懐っこく、辛く厳しい労働にもよく耐える人々でもあるのだ。ただ、まだ文明が十分開花しておらず、原始時代そのままの焼き畑に頼って暮らしているというだけなのである。

 雑穀やトウモロコシを植えて辛うじて凌いでいるが、その生活は困難を極め、時には腹一杯食べることすらままならないのであった。つまり衛生などという概念は、そうした彼らにとってはある種人生のおまけのようなものであり、一部のアカ族などは、一生風呂に入ることもないだろうと信じられてさえいるのだ。そしてもっともまずいのは、黄金の三角地帯の阿片価格が異常に安く、そのため右も左もわからない多くのアカ族たちが阿片吸引を覚えてしまったことで、十二、三歳ぐらいの青少年でさえ、阿片の虜になっている者が数多くいる始末であった。ゆえに、多くのアカ族にとって、食事をのぞく最も重要な事柄はまさしく阿片の吸引であり、そうしてその一生を苦労のうちに終えてゆくことが多いのであった。

 これほどいろいろと擦った揉んだの挙げ句、この男はやっと竹を切りに行ったのであった。こんな山奥に住んでいれば、竹などはただ同然でどこにでも腐るほどある。人に金を払って切ってきてもらうのは、我々教師ぐらいのものであった。

 夜も近くなり、この男はようやく細く、軟らかく、そして曲がった竹を二本、肩に担いで山を降りてきた。実際のところ、この竹は我が家の竹垣にはとても使えない代物であったが、私としては彼に金を払ってさっさと離れてもらうに越したことはない。私は彼に十バーツを渡したものの、成り行き上仕方なく、今晩の晩飯もご馳走することになってしまったのであった。

 そして、使い物にならないあの二本の軟らかい若竹であったが、これは家の敷地のどこかに放って置いて、いつか乾くのを待って、火種にでも使うしかないだろうと思った。

 夫の楊林は帰ってきて私からことの顛末を聞いた。笑いながら言っている。「そいつはおまえがちょろいのを知って、ここに来ればなんとかなると思ってるんだろう。だが、よその家はそんなに甘くはないからな。またきっとうちに戻ってくるに違いない」

 メーサロンの村は典型的な貧しい僻地であるといっていい。ゆえに、人々の日々の暮らしは爪に火を灯すような厳しいものがある。したがって、この地で他人からの食を請い、その糧に頼ってその日を生き延びるなどということは、実際不可能にも等しい行為であった。


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