【番外編2】 北タイ・メーサロン 墓誌に刻まれた物語(1)

 
 国民党軍の末裔たちが数多く暮らす北タイのメーサロンを歩いていると、中国式の墓地が周囲の丘の上などにたくさん見える。中国人が多ければ、中国式の墓が多いのも当たり前と言えば当たり前だが、この少なからぬ中国式の墓地が日常的に眼に入る風景は、北タイ独特のものといえるだろう。

 散歩がてらメインストリートを外れて脇道に入り込み、さらに進むと、やがて舗装が途切れて人が踏み固めたような小径になっていき、膝丈の草をがさがさとかき分けてその先へ進むと、最後にはこうした墓地にたどり着くことが多い。

 さらに先へ進む道の先を見渡せば、もう次の尾根が見える。傾斜がきつい小径で歩き疲れた足をしばらく平らな場所で休ませたい。墓地はなぜかいつもこうした目的に適う場所にあるような気がする。たまに、アカ族のおばさんなどが通り過ぎて、にこやかに挨拶を交わすが、ここで何をしているんだ、のように誰何されたことは一度もなかった。振り向くと、この墓地を見かけたときに歩いていたメインストリートのあたりが、なぜかこちらからはずいぶんと遠くに見えるものである。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 メーサロン全景MaeSarongPhoto006.jpg
メーサロン全景写真

 墓地にある墓の数は、大抵は五~六座、多くても十座程度だ。これには急な斜面が多くて、ほとんどまとまった平地らしい平地がないという山がちなメーサロンの地形も関係しているのであろう。メーサロンの村が開かれたのは一九五〇~六〇年代以降というから、墓自体にそれほど古いものはないと思われる。これらの墓地は基本的には土葬なのだろうか、一部には墓石や石囲いも散逸してしまい、これこそがいわゆる土饅頭といった状態になっている墓、おそらく手入れが追いつかずにそれが放置され、雑草が生えた墓もある。

 中国式の墓は風水などを考慮に入れているのか、さまざまな方角に向けて立っており、また財力や社会的地位の違いからか、その大きさや墓石の材質などもさまざまである。これらの墓には、あらゆる艱難辛苦の道のりを経てこの地に根を下ろすことになった、墓の主の人生が記された墓誌が刻み込まれていることが多いのだ。人に歴史あり。何気なく眼にした墓誌の文言に思わず釘付けとなり、しばらくそのまま読みふけってしまうことがある。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 メーサロン墓地MaeSarongPhoto002.jpg
メーサロンの墓地の写真

 バンコクで開かれた四カ国会議における決議を受け入れず、つまり国民党軍の台湾撤退を拒否して残留した(実は残留こそが真の密命であったともいわれる)国民党軍部隊が移住の第一世代である。彼らがメーサロンにたどり着いた頃、メーサロンはまだ山岳民族がぽつぽつと暮らすだけのとても小さな山塞であった。だが、その後、軍人以外にも多くの人々が続々と流入しており、彼らはさまざまな理由で、共産化された祖国中国を離れた人々の群れであった。彼らがそれらの墓の主である。

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