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シャン州をさまよった女流作家 曾焔の伝奇小説 阿卡花(アカ族の花)(7)

 
 私は何かにつけ塩や米などの生活必需品を彼女に届けている。私が近所の家で飼っている豚にやる餌として、我が家から出る残飯をバケツに捨てているのを見るにつけ、彼女はこれを大変もったいないことだと感じていた。彼女が言うに、アカ族の食事は決してよくない。それも豚に食べさせている物よりもよくないぐらいであるらしい。その言葉を聞いた私は、豚にやるよりもむしろ彼女が持って行って食べた方がよいのではないかという気持ちにすらなっていった。アカ族の生活はたしかに赤貧と呼ぶにふさわしいもので、主なおかずといえば生の唐辛子や粗塩、たまに山菜や野草、昆虫といったような有様で、油すら使えない。さらに、ミミズやゴキブリまで食用にすることすらあるらしい。このほか、彼らが愛する食材には犬肉がある。漢人の家で飼い犬が病死したとの話が伝わると、すでに埋葬されている犬でさえ掘り起こして食用にすることさえあるという。

 たしかに少なくないアカ族が漢人の家で残飯を乞うて飢えを凌いでいる様子であったし、それは実は彼らにとってもご馳走であるのかもしれなかった。

 アイナは山に分け入って薪を切りに行く。ときどき山の中で木耳やキノコの類や蕨などを見つけると、いつも決まってどっさりと我が家に届けてくれる。お金を渡そうとしても決して受け取らないし、結局私としても缶入りの練乳やらビスケットなどを渡すことにしていた。

 その後、少しずつだがアイナの様子が明るくなってきて、心中の悩みは徐々に軽くなってきているように見えた。私が彼女の様子を見に行っても、このころは神経質に子供を抱きに行くようなこともなくなり、静かに笑い返すようになっていた。

 私はかつて彼女の草屋の中まで入り込んだことがなく、ただ習慣のように入り口のあたりから家の中を眺めているだけであった。そして彼女たち母子がそこで心地よく暮らしているさまを見るだけで、ずいぶんと安心したものだった。それからというもの、夜に風雨の音や野獣の雄叫びを一人で耳にしたとしても、それほど怖がることもなくなった。彼女の存在はすでに、私の生活の一部になっていたのである。

 私はときどき、彼女の生活にはとても大きな自由があるのではないかとさえ思った。不幸せな婚姻生活からくる巨岩の如き重さに晒されることもない。自分の苦労は自分自身が引き受けて、子供とともに助け合って生きる彼女に、精神的な負担や極端な生活圧力も存在しないのではないか。心身共に軽やかに、そして愉快に日々を生きているように見えた。ただ、彼女の心中のわだかまりとなっているその過去に引き摺られることがなければ、それはそれでよいことなのだと思っていたのだ。

 彼女を羨ましく思ったことさえある。私の夫のように情のかけらもない薄情者とさっさと縁を切ることができれば、それはそれで私にとっては人生の幸運なのかもしれないし、それはおそらく厄介ごとをすべて捨て去れる幸運でもあった。

 それで思い至ったのであった。彼女はきっと幸せに違いない。だが彼女が眼のあたりに見せる、ときに何かを恐れているかのような表情が気になっている。彼女は何を恐れているのであろうか。彼女が急に何かを思い出して、彼女自身がその恐怖に追い立てられるようにして自らの子を抱きに行くことがある。やはり彼女にとっては、この子を失うことがもっとも恐ろしいことなのであった。実際、これは私にも理解できる心情であった。夫に捨てられて、一人この世に放り出された女にとって、子供を失うことはとても受け止めきれない辛い現実であるに違いない。

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