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シャン州をさまよった女流作家 曾焔の伝奇小説 風猴乾(猿の干物) (9)最終回

 
 そして死んだ猿の親子を袋から取り出したが、猿の親子は死に至ってもまだしっかりと抱き合っていたのであった。鄒冲は火傷に気を付けながら全身の毛をむしり取ってから、竹で作った二つの十字架に猿の親子をそれぞれ括り付け、家の中の人目に付きにくい場所にある木の枝にぶら下げて乾燥させた。

 もし子供たちがこの残酷な様子を盗み見ていなければ、結局は金にならなかったので猿の親子を野に放ったと思ったに違いない。なぜなら、こういう種類の人間が小動物を飼うなどということはまずあり得ないからであった。ところが実際はこのような残酷な方法で、この冷酷にもこの猿の親子を始末していたのであった。

 大人たちがこの一件を知ると、当然この鄒冲に対するみなの印象は地に墜ちていった。だが本人は相変わらずあちこちに顔を出しており、何事もなかったかのように振る舞っているのであった。相変わらず大口を叩き、あの猿の親子はすでに野に放ったなどと言い振らしている。しかし、みなは彼がどんな恐ろしいことをしたかはっきりとわかっていた。それに、誰しもあの猿の親子を殺すことなど願ってはいなかった。結局彼は自分の評価を下げただけであった。その上、自分自身は善行を行ったかのように言っているのだから、それを聞いたみなが、彼を極悪非道の偽善者と考えたのも無理はない。

 そしてある日の黄昏時のことである。私は娘を連れて散歩に出掛けた。その帰り道で、私たちは鄒冲の家の裏を通った。突然娘が怯えて私の袖を引っ張っている。首をすくめるようにして怯えながら、彼の家の敷地の中にある一本の木を指さし、小声でささやいた。

「おかあさん。見てよ。猿が干してあるよ。|小暹《シャオシェン》たちが言ってたよ。あれはきっと化けて出るぞって」

 私は足を止めて首を上げて眺めてみた。私もなんのことかと驚いて見てみると、大きいものと小さいもの、二匹の猿の屍体であった。それはすでに乾燥していて、黒紫色に変色し、歯を剥き出しにして眼と鼻は空洞になっている。見るからに恐ろしい形相であった。

 暮れなずむ夕刻の靄は重々しく立ちこめ、鄒冲の家のあたりの鬱々と陰気な様子は形容しがたい。多くの人々は鄒冲が道徳に反することを何度も行ってきた報いで、彼の家はその罰が当たって傾きかけているのだと陰で言い合っていたのであった。

 私はこういう考え方を信じるものではない。だが、鄒冲の家が落ちぶれた原因は、真面目に働かずに暇に任せてでたらめなことを繰り返したことだと思っている。

 骨と皮だけになった猿のミイラ。私は難を逃れることができなかった二匹の猿の情景をはっきりと見ていた。その猿の動作、そして子供をしっかりと抱きしめる様子は、とても人類によく似ている。それがまた私たちの脳裏に、強烈で深刻な印象を刻んでいるのであった。

 生命に対する冒涜、母性愛に対する蹂躙。鄒冲のこうした行いは、自らを人の形をした獣へと貶めていた。

 子供たちの言っていることはあながち間違っていないかもしれない。彼らはしばらくして、鄒冲が外に干してあった猿の親子を中に入れたと言っていた。

 するとその翌日、鄒冲はその「奇貨」を持ってバンコクへ売りに行ったのであった。

 結局この猿は売れず、彼が何日かして戻ってきたが、彼の養子が言うところでは、仕方なく火で焙って自分で食べてしまったという。

 あの猿の親子の肉が「相当な霊験」を発揮して、鄒冲のあの狂った頭脳と残忍暴虐な神経病を治してくれるといいのだが……。私は心からそう願わずにはいられなかったのであった。


【風猴乾(猿の干物)完】





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