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シャン州をさまよった女流作家 曾焔の伝奇小説 龍鳳呈祥(きっといいことがあるさ)(3)

 
 そろそろ存厚さんの家に着く頃だった。私は礼儀をただして孔三元に言った。

「では、気を付けてね。暇なときにはぜひうちに遊びに来てくださいね」

 だが、

「とんでもないですよ。そんなことをしたら楊先生に誤解されてしまいます。変に勘ぐられて、最後は棒でひっぱたかれて叩き出されるのが落ちです。それでは割に合いませんよ!」

と、彼は否定するように手を振って、笑いながら去っていったのだった。だが、少し歩いてからこちらを振り向いて一言、

「先生。人が何を言おうと気にしちゃいけませんよ。もっとも、私はこんなイボガエルのような男ですから、鵞鳥の肉を食べようとは思いませんよ。では!」と言った。

 私は娘を抱きながら、坂道に立ち、ゆっくりと遠ざかる彼の後ろ姿を眺めていた。何とも形容しがたいが、いい人に出会ったという心地よさが残っていた。多くの人間は、他人が褒めてくれることを喜ぶものである。孔三元は、私のことを何度も何度も若いといってくれた。そのおかげで、本当に自分が若いと思えるようになってきたのであった。

 それとも、私は老けているのか。やっと二十三歳。だがやはり私は自分がまだ若いとはとても思えない。考えるだけでも恐ろしいことであり、同時にとても悲しいことでもある。私はそう考えるとため息が出てくるようであった。心はまたもとのように重くなり、眉をしかめて自分に活を入れた。そうだ。私はまた歳をとったのだ。

 存厚さんの家に着いた。私はあの孔三元の話をしないわけにはいかなかった。

 存厚さんは笑いを抑えきれずに言う。

「曾さん。あの孔三元はなかなか笑える奴なんですよ。でも彼を甘く見ちゃいけませんよ。あいつは天が崩れ落ちてきても気にしないような芯の強い奴で、どんなに辛く惨めな情況でも、笑いを作り出す能力を持った男です。こういう才能はなかなか得難いものですよ。たとえば、あいつの親父が死んだときのことです。あいつの母親は延々と泣きじゃくってどうにもならない。それで、あいつは母親になんて言ったと思います?」

 私には答えが見つからない。自分の父親を亡くした辛い情況で、彼が笑いを作り出せたのだとしたら、それは確かに常人に出来る技ではないだろう。

 存厚さんは言った。

「あいつはね、母親に向かって『母ちゃん、泣くのはやめて、また一人新しい旦那を捜してこようぜ』って言ったんですよ」

 なんともはや。世間にはそんなおかしな息子がいるものだろうか。

 だが、人が生きていく上で、常に次の幸福を探し求めるのは当然のことであり、本来責めるべきことではないのである。孔三元はこうした原始的で、まだ文明が行き届いていない閉塞された山塞に住んでいても、こうして口をついて出てくる言葉は、他とは異なる響きを持っていて、実際、ある種の思想的な突破と飛躍を成し遂げているとはいえないだろうか。

 当然彼の母親は十九世紀を生きてきた人間である。彼のこうした二十世紀式ユーモアは、彼の母親にはその笑いのつぼがうまく伝わらなければ、かえって怒りの炎に火を付けてしまい、結局は箒を振り回した母親に家から叩き出さることになるだろう。

 私はついでに孔三元の顔の赤い腫瘍について聞いた。私はてっきり疥癬などが原因で爛れているのかと思っていた。だが存厚さんは、首を横に振って、

「違いますよ。あれはらい病です。彼はらい病患者なんです」と言った。

 私はそれを聞いて背筋が凍った。身も蓋もない現実がぶちまけられたように感じた。私は焦って彼に聞いた。

「なんですって!彼はらい病なんですか。私は今さっき彼の近くにいたんですけど、まさか感染するなんてことはないでしょうか?」

 人間は所詮は保身する生き物に過ぎないのであった。先ほどまでは、彼に対していい出会いだのなんだのと思っていたくせに。まったくもって、人間とは、現実的な動物であろうか。当然私もその一人だ。恥ずかしいことである。

 私の顔から血の気が引いているのが見えたらしい。存厚さんはよくわかったという感じで、私に教えてくれた。

「それはあり得ませんよ。大丈夫です。らい病は直接接触したときに感染するらしいですから。ご安心を」

 人はみな我が儘である。私に心の余裕が生まれると、こんどは孔三元がこうした病にかかっていることに対して深い憐憫の情を覚えているのであった。

 陽のあるうちに家に戻り、娘はすでに眠った。私は暇を見てさっと入浴を済ませた。

 私は破れた鏡を拾いって片手に持ち、もう一方の手で櫛を手にして、洗い上がりの長い髪を梳いてみた。

 私は髪を下ろしたことがない。私はじっと破れた鏡に映った自分を凝視した。長い髪を下ろすと、私はいったいどんな感じになるのだろうか。こうしたことをしてしまうのは、私自身の虚栄心からか、それとも、孔三元の話が心のどこかに引っかかっていたからだろうか。だが確かに、私は驚きとともに発見した。髪を長く垂らした私はまさに若くなっているのであった。それに、ある種可愛げが増して柔らかい感じが出ているではないか。私はこれまでさんざん苦労してきた自分の姿と、もう一つ、まだ可愛らしい味わいを保っている様子をじっくりと眺めていた。

 どうして試しにやってみないのだろうか。孔三元が私に言ったように、「髪の毛を下に下ろしてみれば、きっともっと若く見えますよ」というのはおかしいことなのか、なぜ私は髪を常に年寄りっぽく後ろに結っていなければならないのだろうか。


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