克保(柏楊) 異域 (7)

 
 禍転じて福となす。先鋒部隊が屈鴻齋と出会ったのち、反攻はより有利な形勢となった。我々の縦隊に組み込まれた藩王の|石炳麟《シービンリン》は部下を率いて瀾滄へ進撃した。大志を抱いてこの地に生きる男、屈鴻齋は、地元の藩王の娘婿になるという離れ業をやってのけるだけでなく、これだけ多くの阿片が満ち溢れている土地で、これには一切手を出さず、甚だしきは紙巻き煙草にすら手をつけないのであった。彼は|西盟《シーモン》方面で合流、石炳麟の部隊の嚮導を務め、ともに東へと進んだ。

 我々も続いて出発し、三日後、|孟茅《モンマオ》に進駐した。ここには一個大隊のビルマ国防軍が駐屯していた。我々が祖国に攻め入ったときに、共産党軍が我々を包囲して退路を断つことがないよう、彼らにはこの地に駐屯しつづけけてもらう必要があった。

 我々は屈鴻齋が準備してくれた贈り物を携えた人数を派遣したところ、彼らは逃げないという我々の要望に応えた。我々が孟茅に到着するのを待って、葛家壁大隊長は麾下の部隊長を夕食に招いた。


 孟茅はかなり大きな村であった。地図上ではビルマ領に属しているが、街中の表示はすべて中国語であった。街の中で聞こえるのは雲南方言である。我々はここに国土へ反攻する前の大本営を置いた。民国三十九年、大陸が共産党の手に失陥した後、鉄のカーテンを逃れてくる軍人、地方官吏、また、圧政に耐えきれない庶民などは、大軍(実は千余名の「大軍」に過ぎなかったが)が雲集して祖国へ反攻すると聞いて、我々のもとを訪れた。

 李彌将軍がこの地に到着した後は、主な仕事は、彼らを組織して、任務を分配することであった。ここで|羅紹文《ルゥオシャオウェン》、|李文煥《リーウウェンホゥァン》、|張國柱《チャングオジュー》、|文興洲《ウェンシンジョウ》、|文雨辰《ウェンユーチェン》、|甫景雲《ポージンユン》などの人物が出てくるが、彼らは共産党軍との戦いの中で、最大の力を発揮することになる。李彌将軍は彼らにまずは非武装の部隊を組織させて、反攻部隊の後続として出発させ、その後、彼らの武器を補充することにした。

 中華民国四十年四月二十四日、我々が猛撤を出発して一ヶ月、そして、我々が国を出てから一年の年月が過ぎていた。この日、我々は再び祖国の土を踏まんとしている。私と葛家壁大隊長は、馬を並べて山あいの崖の上にいた。嚮導が足元の渓谷を指差して説明した。

「ここが、中国とビルマの国境です。あの谷のあたりはもう中国領です」

我々は頷く。

「建物があるあの山の上のあたり、あそこが|雍和《ヨンホー》です」

と彼は続けた。

 私は半信半疑で佇むように眺めていた。「近郷情更怯(訳注、故郷が近づいてくると怖くなってくるの意)」の詩句を思い出す。寝ても覚めても思い続けた祖国の山河が眼前に広がっている。しかし、何が我々を待ち受けているだろうか。帰ってきた我々を迎えてくれるのは、笑顔かそれとも砲火か。

 斥候が谷を越えたあたりまで進んでいて、銃を手に警戒しながら前進する彼らの姿がはっきりと見える。我々もするりするりと谷を降りた。帰ってきた国土を踏む馬の蹄の音が、詩情を掻き立てる。だが、ここは祖国の国土というだけに過ぎないのであって、私の本当の家はさらに千里の先の黄河のあたりにあるのだった。

「ある日、もし…」

私は言った。

「我々がこうして馬に乗って黄河の堤に立って、|開封《カイフォン》(訳注、河南省の省都)の古城を眺められたら、我々はもっと嬉しく感じるんでしょうね」

「そのときは大声で笑うでしょうね」

「別に誰も気にしやせんよ。今だって笑っていいのだ」

「私はちょっと気が重いです」

「いや、だが我々の士気は旺盛だぞ」

 彼はそのあと何も言わなかったが、私の気持ちには偽りがない。たしかに、この世で我々反攻部隊ほど士気の高い部隊はいるまい。たとえ、我々が誰にも顧慮されずとも、たとえ、多くの官吏たちが何万ドルの財をなしても、我々の給与などは所詮、二盾(訳注、チャット。ビルマの通貨単位)にすぎないのだから。

 そういえば、私は大事なことを言い忘れていた。老盾とは、ビルマの貨幣のことである。一盾(チャット)はタイの五バーツと交換できる。そして、二十バーツが一米ドルになる。

 我々は民国三十九年七月(噂では五月に国防部が我々に給与を支給することを決定したらしい)から、ずっと今まで、毎月の給与はアメリカの貨幣にしてわずか五十セントである。それでも我々は、いつも草履を履き、ただ反攻だけを願い求め続けてきた。我々は死ぬことも厭わない。もし祖国の懐に抱かれて死ねるのならば、我々は死んでも成仏できるというものだ。

 その日の午後、先鋒部隊は雍和に進駐した。ここはまさしく我々の国土である。葛大隊長は村の封鎖を命じて、哨戒のため周囲に小部隊を配置した。情報関係者以外は入村を禁じ、また、いかなる人間も村を離れることは許されない。同時に、孟茅と連絡を取った。

 当日の夜間、李國輝将軍が到着したので、祖国の上では第一回目となる軍事会議を開いた。出席したのは、連隊長張復生、第一大隊長|鄒浩修《スイハオシウ》、第二大隊長葛家壁、第三大隊長陳顯魁、副大隊長|姚昭《ヤオジャオ》である。

 二日目、四月二十五日真夜中の一時。全軍が出発。四十華里を四時間で行軍し、払暁、滄源に到着した我々は攻撃を開始した。





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