【番外編2】北タイ・メーサロン 墓誌に刻まれた物語(7)

戦争につきまとわれたB氏の人生

まずは、この墓誌をご覧いただきたい。

中国語作品で読む 黄金の三角地帯とタイ北部 墓誌の写真sMaeSarongMuzhi002.jpg

水平線

以下は墓誌の訳文である。
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序;

 亡父B公、諱をXX、字はX。天性の一途なる忠義者であり、早い時期から中国国民軍の軍旅に参加して少佐にまで昇進し、大隊長を務めた後、軍を退役した。帰郷してからは故郷の人々に望まれて県知事に選ばれた。

 亡父が長く外地で軍役に服していた関係で、亡母J氏とは晩婚であった。夫婦が共に白髪になるまで、長い間に渡って睦まじく愛し合い、素晴らしい家庭を築かんとしていたその矢先、国民党と共産党が政権を争い、その後、共産党の統治が始まると、人々は次々に国外へと逃れていった。

 当家がビルマに逃げたとき、李彌将軍が反共救国軍を成立させたため、再度軍役に服することになり、その麾下に入ったのであった。

 その間、亡母が一人で家庭を守り、苦労を乗り越えてなんとか生き残るしかなかったのであった。亡父は民国四十五年に北ビルマに戻ることを約し、数年後に一家は全員揃うことができた。

 しかし、こんどはビルマ情勢の悪化によって、民国五十四年※に一家を挙げて南下することになってしまったのであった。北タイのメーサロンに入ってからは、荒れ地を開墾して辛うじて生計を維持し、迫り来るありとあらゆる苦労を受け止めながら、それでも我が家はなんとか生き延びることができた。

 その苦労のおかげで晩年は慎ましくも幸せな日々を送ることができた。その恩義を思い、この永別にあたり、生前の業績をここに刻み、後世に知らしめるものである。

                     息子 BXX 墓前に謹んで拝礼する

(※画像では民国三十四年となっているが、話の流れから見て、三は誤りで、五が正しいと思われる。半永久的に残る墓誌に「誤植」があったことは驚きであった)
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戦争に明け暮れた中国と一途な青年が過ごした戦乱の日々

 清朝末期から、中国国内は絶えることのない内乱状態が続いていた。ここに登場するB氏の人生もまた戦乱と共にあった。中原から遠く離れた雲南省にも戦乱の影響は及んでいた。中国近現代史と雲南省の関わりを見ていくと、それがどのようなものであったかがわかる。B氏が身を投じた国民軍の軍旅とは、また、その時代背景はどのようなものだったのだろうか。


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